第3回 yom yom短編小説コンテスト 

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yomyom 西村編集長のひとこと

作家のみなさんの創作活動に関する質問に、yom yom西村博一編集長がお答えします。質問投稿はTwitterのつぶやきに「#ヨムエブ」のハッシュタグを入れて呟くだけ! 回答は毎週木曜日に更新!

※採用された一問一答は物書きのためのメディア「monokaki」に掲載されます。

※編集長が回答する質問はエブリスタ編集部で集約・編集します。すべての質問に回答できるわけではないことを予めご了承ください。

今週の一問一答

らいむ

私は長編を書くときに、三人称多視点で書くことが多いです。脳内でドラマのように視点を切り替え、それぞれの角度から物語を追って行くのですが、ラストで、誰の物語として終えていいのか分からなくなる時があります。多視点でうまく行くコツはありますか?


#ヨムエブ

2019.1.24

yomyom 編集長


「三人称多視点」は、本当は「全体を俯瞰する誰か」の物語なのでは?

 うーん……ご質問の主旨はわかるんですよ、「最後は誰視点で話を閉じればいいのか分からなくなる」ということですよね? でもつくづく考えてみると、三人称多視点の物語って、本質的には誰か特定の登場人物の物語ではないと思うんですよ。

 三人称多視点という書き方は、よく「複数の視点人物の頭上を移動してゆくドローンからの映像を使った実況中継」みたいに説明されることがあるのですが、その喩えを使えば三人称多視点の物語はドローンを操作している誰か(作者なのか、神なのか……ともかく物語の世界をさらに距離を置いて眺めている俯瞰者)の物語なのであって、その俯瞰者が「描きたいことを描ききった!」と思えばそこで終わりでいいのではないでしょうか。

 一人称の物語は、その視点人物の認識の枠組み(つまり「僕」なり「私」なりが感じたり考えたり体験したりすること)の中で形作られますが、三人称の物語は一視点であろうが多視点であろうが、必ず「西村は」とか「博一は」とか登場人物のことを“他人事”として見ている(“他人事”といってもバカにしている、という意味ではないです。愛していても他人は他人)、登場人物以外の俯瞰者がいるわけです。

 いやもちろん一人称小説だって、その視点人物の認識を使って読者に何事かを伝えようとしている存在(まあ、この場合は作者と考えていいですね)がいてそれが俯瞰者だと言えなくもないのですが、三人称というのは俯瞰者が登場人物ともっと距離をとって“他人事”として捉えており、一人称よりさらに客観視度・俯瞰度が高いわけです。

 だから三人称多視点の小説って、よくよく読んでみると、実は登場人物の誰のものでもない、不思議な声で終わることもあるわけですよ。

 たとえば伊坂幸太郎さんの『ラッシュライフ』。三人称多視点の物語の奥深さを強烈に印象づける素晴らしい作品ですのでぜひお読みになるべきですが、この作品の最後の一行にある「ラッシュライフ――豊潤な人生。」。これ、誰の視点でしょうか?直前までは豊田視点ですが、最後の一行には別の誰かの声が響いているようです。

 あるいは、もうちょっとわかりやすいかもしれない例を。

 みなさん駅構内のサイネージとかで、ブラック・ジャックとドロンジョがデートしている広告を目にされたことはありませんか? 婚活支援サービスを展開するパートナーエージェントという会社の広告だそうで、互いの気持ちを推し量るのに不器用な二人の内面描写がめっちゃ面白くて、私はいつも立ち止まって読んでしまいます。

 これ、ものすごく圧縮された三人称多視点(ここでは二視点ですけど)の物語と言えると思うのですが、物語の結末にはパートナーエージェント社からのメッセージが添えられるわけです。「困った時には力になりますよ?」的な、この不器用な二人を少し離れたところから応援している広告主という俯瞰者の声。

 もちろんこれはCMなのですから広告主からのメッセージで終わって当然なのですが、仮に【らいむ】さんが「惹かれ合う不器用な二人を第三者が温かく応援する物語」を描きたいと考えたとしましょう。で、メッセージをストレートに出すのとは別の形で、「登場人物の振る舞いの中でそれを表現したい」と考えたとしましょう。

 その第三者として、じゃあピノコちゃんに登場してもらいましょう。ピノコちゃんはブラック・ジャック先生の娘のような存在であると同時に本人的には奥さんになりたいとも願っています。でも(ここから私の勝手な創作ですけど)ピノコちゃんは、そんな自分の強い願いが孤独な先生を縛ってしまうことになるのかもしれないと悩み始め、彼が出会った高飛車なようでいて実はとても優しい、そして彼に惹かれていることがピノコちゃんにはよくわかる、ドロンジョさまを応援しようと決心したといたしましょう(健気だ……涙)。

 この物語、【らいむ】さんだったら、誰視点で(誰の物語で)閉じますか? いろいろ有り得ますけど、やっぱりピノコの視点で閉じるという手が有力な感じがしませんか? 「ピノコは迷いを振り切るように呟いた。/「ピノコね、ふたりぼっちが三人になれたら、もっとうれしいのよさ」/そして、本当にそれでいいのかと言いたげに見上げてくるラルゴを抱きしめた。」とかですね……。(ベタですみません。ラルゴは、記憶ではピノコの飼っている犬だったかと)

 つまり何が言いたいかというと、物語の結末というのはその物語を俯瞰している何者か――もうここでは、敢えて端的に「作者」としてしまいましょうか――作者の「描きたかったこと」が一番濃密に滲んでくる場所なわけです。ですので、その作者の想いとか発見とか驚きとかを、一番しっかりと受け止めてくれる登場人物の物語で終えるのが、素直な発想なんじゃないかと考えます。

 さらに踏み込んで言うと、作者のみなさんは「ああ、こういうのって大事なことだな」とか「こういうことって素敵だな」とか、あるいは「人間ってこういう目を背けたくなるようなところがあるよな」とか、そういうある種の気付きがあってこそ、「よしこれを物語にしてみよう」と思って物語を紡ぎ始めたはずですよね。結末に迷ったら同じ気付きを共有してくれそうな登場人物は誰かを探してみるべきではないでしょうか。きっとその人が、物語の閉じ手の第一候補だと思います。

「書きたいことを思いっきり書く」

 さて、以下蛇足めきますが結語に代えて。

 二カ月間、迷走しがちな議論にお付き合い下さいまして誠にありがとうございました。私の限られた経験値では、ご質問をいただくたびに「小説ってどういうものなのだろう」と考えながら暫定的な“答え”を差し上げるしかないところがあって、なんだかモヤっとしたアドバイスだなあとお感じになられた方も多かろうと存じます。

 ただね、言い訳じゃないんですけどね、やっぱり小説って「書きたいことを思いっきり書く」のが第一だと思うのですよ。「一人称がいいのか三人称がいいのか」といった技術的な問題は、書こうとする作品それぞれに工夫されるべきものなのであって。

 よく「エンタメ小説の賞では三人称多視点小説は落とされる」とかまことしやかに語られますけど、そんなことぜんぜん、まったく、ないですから。
 いや、もちろん三人称多視点の作品は、たとえばAさんの視点では見られないけど書いておくこと便利なことを、次の行でBさんの視点に切り替えて説明したくなっちゃう、みたいな罠が潜んでいる部分はありますよ。それで「これ入り組みすぎてて誰の心の声なんだかわからない」とか「AさんがBさんの気持ちを推し量るからこそ面白いのに、これじゃ台無し!」とか「いろいろ書いてあるけど、つまりこれ何の話?」とかいうケースが、新人賞の応募作にかなり目立つのは事実ですよ。でもそれは「三人称多視点は自動的にダメ」ってことではないんです。上記のように、三人称多視点だからこそ描ける世界もあるわけです。

 それから「受賞への近道は、唯一無二の表現力、筆力等の向上よりも題材の世間的需要や若々しさを狙った作品を書くことなのでしょうか」とご質問くださった【一平一平】さん。繰り返しますが、書きたいことを思いっきり書いてください。

 そりゃね、「世間的需要」というのが「みなが感じている得体の知れない感情や問題を、鋭く切り取って言語化する」という意味であるなら、それはとても大事なことです。でも、仮にそれが「流行の題材を追いかける」ということなら、答えはノーです。

 確かに新人賞の応募作には流行廃りのようなものがあり、サイコパスを描いたベストセラーが出たらその翌年の応募作はサイコパスものばっかりみたいなことはよくあります。でも考えて見てください。「先行した第一人者に似た作品」だったら、みんな第一人者の方を読みますよ。それに、もしそうした応募作が受賞しても、執筆開始から選考を経て編集を経て本になるまでには数年単位の時間がかかりますから、世に出て読者の目に触れるころには「もうそういうのお腹いっぱい……」という悲劇に見舞われることがしばしばあって。

 だからこそ、私たち編集者は誰にも似ていない「唯一無二」のオリジナリティーある作品を夢見るのです。若々しさなんて、いや若い読者に熱く迎えられる作品というのはあるわけですが、別に若い人だけが小説を読むわけじゃなし。無理して若いところを狙わなくたっていいじゃないですか。

 昨年、第1回大藪春彦新人賞を受賞された赤松利市さんという作家がいます。「62歳、住所不定、無職」という作者紹介が帯にデカデカと踊る謎の本(ごめん徳間書店さん)として発売された赤松氏の第一長編『鯖』を、ぜひお読みください。もう、流行りのネタだとかそうでないとか、若いとか若くないとか、純文学だとかそうでないとか、すべてがどうでもよくなってくる圧倒的な作品です。
 
monokakiにて過去の一問一答を掲載中!



まだまだ皆様からの質問を受付しております!質問の投稿は「#ヨムエブ」でツイート!

スケジュール&賞典

募集期間 2017年9月15日(金) 17:00:00 ~ 2017年11月30日(木) 23:59:59 結果発表 2018年3月16日(金)

●大賞(1作品)
・編集長講評
・yom yom本誌全文掲載
・別冊号掲載
・賞金3万円
●優秀賞(数作品)
・編集長講評
・yom yom本誌抄録掲載
・別冊号掲載
・賞金1万円
●入選(数作品)
・編集長講評
・yom yom本誌あらすじ掲載
・別冊号掲載

募集内容

「yom yom短編小説コンテスト」は、創刊10周年を迎えた新潮社の文芸誌「yom yom」に作品が掲載され、編集長から作品講評がもらえるコンテストです。入賞作品(大賞~入選)は講評と共に、2018年4月号(3月16日配信)のyom yom本誌で紹介されます。また、受賞作品と講評が載る別冊号も刊行され、エブリスタが主催/出展するイベントにて販売します。

さらに、コンテスト募集期間中、「編集長一問一答!」を同時開催!作家のみなさんの創作活動に関する質問に、yom yom西村博一編集長がお答えします。質問投稿はTwitterのつぶやきに「#ヨムエブ」のハッシュタグを入れて呟くだけ!回答は毎週木曜日、イベントページ内に更新されます。

※編集長が回答する質問はエブリスタ編集部で集約・編集します。すべての質問に回答できるわけではないことを予めご了承ください。

【yom yom西村編集長のひとこと】言葉は不思議です。 一人で言葉を獲得する人はいないので、それは明らかに自分の外からやってくるもの。 でも私たちは言葉を使い、自分の内側の様々な感情を表現します。 なので言葉の集合体たる物語は、私たちの外(=世界)と私たちの間に生まれた謎の生命であるわけです。 皆さんの世界と皆さんのDNAがミックスされた未知の生命体に出会えるのは、本当に楽しみです。

yomyom編集長 西村博一 インタビュー

応募要項

1)5000字~20000字の短編小説作品 2)完結必須 3)ジャンルは自由です

※お一人様、何作品でも応募頂くことが可能です。

※非公開作品は審査対象外となります。

※新作推奨ですが、過去作・他の賞で落選した作品を上記の形に再構成して応募戴くのも歓迎です。

※エブリスタ内の公式イベントや、他サイト等の文学賞で過去に受賞した作品は選考対象外とします。

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