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婚姻届と意地悪な笑顔

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大きな窓から、燦々と照らし続ける明るい光に、思わず目を閉じる。

暖かな日差しを感じながら、大きく深呼吸をした。


ああ……これは、高校の体育館だ。


胸に赤い薔薇の飾りを付けている私。

きっとそれは、卒業式の光景。


私は第三者として、もう一人の自分を傍から眺めている。



体育館を歩くキュッキュッと靴が磨り減る音を、耳を研ぎ澄ましながら聞いていると……

囁くように聞こえたのは女の人の声。



― じゃあさ30になったら、会いにきてよ。あんたの成功を一緒にお祝いしてあげる。

それで……



― それで……?



誰かの問いかける声に、もうひとりの私は躊躇うことなく告げた。



― もし、独身だったら…結婚しちゃおっか?



夢の中で思い出した。

私と新居が交わした、冗談半分の約束を。


その瞬間に私の意識は、ゆっくりと覚醒し始めた。



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2

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目を開けると、見慣れない色の天井が目に入る。


あれ……うちの天井、木目のはずなのに。

今日の天井、やけに白い……。


そんな有り得ないことを考えながら身体を反転させると、シンプルなテーブルの上に置かれている、マックのノートパソコン。


あれ……私、パソコンなんて持っていないのに。

そっか……ここ、職場だ。


いや、それは変だ。

こんなふかふかベッド、バックルームには置いていない!!


そう思って、漸く自分の置かれている状況を把握しようと、がばっと身体を起こした。


すると視界に飛び込んできたのは、壁に掛けられている、なんだかよくわからない肖像画。

カーテンの隙間から差し込む光、囀る小鳥の鳴き声。


ここ……どこ?


初めて見る空間に、とりあえず気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸をしてみる。

心地良い柑橘系の爽やかな香りと共に、鼻のあたりに、もぞっと違和感。



「……何で?」



鼻に突っ込まれていたのは、丸められたティッシュ。

それを指先でつまみ出すと、真っ赤な血の色で染まっている。


何これ……寝起きドッキリとか?


状況が判らない…。

けれども、笑っていられる状態でないことは確かだろう。


焦ってベッドから飛び起きて、私はその部屋を出た。



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3

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「ぎゃあっ!!」



扉を開けて現れた姿に、私は思わず声を上げて後ずさりをする。


それもそのはず。

目の前には濡れた髪をタオルで乾かす、無防備な姿の新居がいたから。


一方の彼は、少しも取り乱すことなく私を見据える。



「あ、起きたんだ?」


「あ、うん……じゃなくて!!」


「コーヒー飲む?」


「あ、うん……だから、そうじゃなくて!!」



すっかり彼のペースに巻き込まれて、私はひとりで戸惑うばかり。

暢気にコーヒーなんて、入れてもらっている場合じゃない。


それなのに彼は慣れた手つきで、洗浄機の中から水色のマグを取り出して、コーヒーを作り始めた。



「どうして!?」


「ん? 何が?」


「何で……新居がいるの!?」



しかも、そんな濡れた髪の状態で、いかにもシャワー浴びていましたよ的な雰囲気で。


まさか……私、新居と?


いやいや……それは絶対にない。

服だって昨日のままだし。



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4

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ひとりで馬鹿な妄想ばかりしていると、マグを手に持った新居が近づいてくる。



「何でって……ここ、俺の家なんだけど。」


「ふぇ!?」



その言葉に、私は周りを見渡した。


壁に掛けられていたのは……確か昨日、彼が羽織っていた黒いジャケット。

そして見覚えのある紙袋。


その中には、私が汚したスーツが僅かに見えた。


そのまま私は、彼に勧められてキッチンにある椅子に腰掛けた。

手渡されたマグには、バリスタ並みの綺麗な気泡が浮かんでいる。



「……美味しい。」


「大学の時、ずっとバイトしてたから。なかなか上手いもんだろ?」


「うん。凄く美味しい。」



口にすると自然に漏れた言葉。

お店で呑むような、そんな本格的な味わいに感嘆した。


予想外に美味しいコーヒーに夢中になっていると、新居がふと笑う。



「泡、ついてるよ?」


「……ほんとだ。」



指先でそれを拭って、私は彼の穏やかな顔をもう一度見た。

そして今度は上唇をかばいながら、マグカップに口を付ける。



「そういえば……鼻血は止まった?」



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5

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不意の言葉に、私の視線は再び新居を見つめる。

その先には、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた顔。



「鼻血?」


「そうだよ……ってお前、昨夜のこと覚えていないの?」


「へっ?」



ん? 昨日のこととは……?


いつものように、一晩ゆっくり寝ることで簡単に忘れていた内容を、容赦ない彼の言葉が思い出させる。



「結婚……。」


「ぎゃあ!!思い出した!!」



結婚……。

新居が口にしたその言葉で、私の記憶は一瞬にして蘇ってきた。


顔面が沸騰しそうなほど、恥ずかしい昨日の夜のことを。



昨日、新居にいきなり『告白』をされた。

約束と称して、プロポーズをしてきた。


アルコールの残った状態で、突然の事態に頭がパンクしそうになって、極度の興奮状態に陥ったのか、鼻から血を出した。

しかも……噴き出るほどに、激しく。


それに驚いた私は、あまりの衝撃に気が遠くなり……。

そして記憶が曖昧なまま彼に背負われて、ここにたどり着いたのだろう。


その頃の記憶は全く残っていないから、後半部分は推測でしかないけれど。


本当のことは、新居にしかわからない。



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6

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「ほんと…再会早々、色んなものを見せてくれるよね。」


「……。」


「鼻血を噴出す瞬間なんて……初めてみた。」



そして、その光景を思い出したのだろう。

新居は手に持っていたマグカップをテーブルに置いて、肩を震わせる。



「だって、あれは!!」



あれは、新居が……あんなこと言うから。


喉まで出掛かった言葉を、私は我慢して飲み込んだ。

口にするもの恥ずかしかったから。


するとテーブルの上に置かれていた携帯が猛々しく鳴り響く。

彼は立ち上がって、まだ少し濡れたままの髪の毛を急いで乾かす。



「あ、悪い。もう仕事なんだ。」


「そうなの? じゃあ、私もすぐ出るから。」



それに合わせて立ち上がると、彼の大きな手が動きを抑える。



「ゆっくりしていていいから。それに……まだ寝起きだろ?」



ゆっくりって……。

むしろ、ゆっくりしたいから帰りたいんだけど。


そんな本音も言えずに、何とか遠回しな言い訳を考える。



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「いや……ほら、鍵とかもないしね。いつまでもいるってわけには……。」



すると新居は隣の部屋に入り、何かを手にしてすぐに戻ってきた。



「これは……お前にやる。」


「へっ…?」



そう言いながら私に握らせたのは、小さな赤い鈴のついた鍵。

所謂、合鍵ってやつだ。



「えっ……こんなの、もらえない……。」


「使い回しで悪いけど。」


「……。」



使い回しなんだ……。

そんな聞きたくもない情報を知って、少し複雑な思いでその鍵を眺めていると、新居が言葉を付け足す。



「使い回しって言っても…あれだよ?女と同棲してたんじゃないから。大学の時に、兄貴とルームシェアしてただけ。」


「……。」



別に、訊いていないんだけど。

それでも必死に言い訳をするような新居の慌てぶりに、少しだけ頬が緩んだ。



「それ……お前に持っていて欲しい。」



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8

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そんなことを真面目な顔をして言ってくるものだから、それ以上拒むことは出来なかった。

手の中にある鍵をぎゅっと握りしめて、私は彼に問いかけた。



「でも、どうして……この鍵を私に?」



すると新居は、うっすらと意地悪な笑みを浮かべる。

今までの爽やかな笑顔とは、まるで裏と表のような違いだ。



「だって、結婚するんだろ?」


「……。」


「また、自分の言葉を忘れるの?」


「……。」



めちゃめちゃ、根に持ってるじゃん。


昨日の優しくて穏やかな顔はそこにはなくて、他の答えを許さないように追い詰めて見据える瞳。

そんな目をされたら……言葉が返せなくなる。


彼の掌が、口を噤んだ私の頬に触れた。



「俺は、お前と結婚したい。」


「どうして……?」



本気なの…?

12年も会っていなかったんだよ?


それに私たちは、結婚するにはお互いを知らな過ぎる。


こんな結婚、間違っているのに。絶対に拒むべきなのに。

それでも、こんな風に優しく触れられると、その手を払えない。



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9

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「ねえ…新居。」


「ん?」


「私は、今の新居のこと……ほとんど知らない。どういう毎日を過ごしてきたかも、好きなものも嫌いなものも…どういう風に…人を愛してきたのかも。」


「うん。そうだね。」



それはまるで、私の言葉を全て予感していたかのような、潔い良い返事だった。


頬に触れていた手を離し、逸らすことなく見つめてくる瞳。

それを冗談だなんて簡単にあしらえる人がいるのなら、是非とも会ってみたいものだ。


それほどまでに……痛いくらいに伝わってくる、彼の嘘偽りない想い。



「……それなのに結婚なんて、私には突然すぎる。」



私の立場からすれば、誰でもそう思うだろう。

とりあえず恋人として付き合うとは訳が違うし、そんな軽い気持ちで受け入れられるものではない。


自分の周りの幸せそうな夫婦を見ていると、経験のない私にだって、それくらいのことは分かる。



「それに新居だって…そんな簡単に決めていいの?」



それでも、私を見つめる瞳に一点の曇りもない。


昨日は冗談としか捉えていなかった言葉なのに……。

それは何度も繰り返されているうちに私の心を惑わせて、彼の想いを真剣に考えてしまう。



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