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[14] バンデージ・アタック

 闇は濃く、辺りには光は一筋も見えない。

 低いモーターの唸りと、時折遠くから重い金属の響きが耳に届いてきた。

 漆黒の闇に塗り込められた視界は、

まるで巨大な棺の中のよう息苦しく感じられる。

 壁を探りつつ靴底で慎重に床の感触を確かめながら足を踏みだした。

 微かな息遣いが、すぐ隣から聞こえてくる。

 瑞希の手は、しっかりと鳴海のスーツの袖を掴んでいた。

「――大丈夫?」

 瑞希が訊いた。

「ああ」

 答えながら、鳴海は手にした携帯電話の画面を見た。

 画面の中に、鳴海と瑞希の位置を示す赤い光点が点滅している。

 少しのタイムラグを置いて、

鳴海たちが動いた軌跡をなぞるように、

少しずつ点滅しながら光点が移動していく。

 それ以外に動く光点はない。

 ―――第3階層。

 船体の前部の階段まで、あと少しの位置だ。

 沢村の話では長く画面を確認していると、

どこかにいるかもしれないユージン・Kの部下に光を見られて、

位置がバレる危険性があるということだった。

 漆黒の闇の中にいるだけに

パンドゥーラのことを思い出さないわけではなかったが、

それを意識しないようにした。

 意識しだしたら、一歩も動けなくなるからだ。

 それに隣の瑞希のこともある。

「……瑞希は、大丈夫か?」

「ええ」

 瑞希が頷く気配がした。

「あなたの方が……心配だわ」

 ぽつんと呟いた一言に、何故か鳴海は胸の鼓動が早くなった。

「すまない」

 思わずそう言い返した鳴海に。瑞希は微かに笑ったようだ。

「なんで謝るの?」

「心配、かけた」

 瑞希は鳴海の腕に自分の腕を絡ませた。

 ぴったりと身体を寄せ、歩調を合わせる。

 瑞希の温もりに、鳴海は少しだけ安心した。

「ごめんね。鳴海」

「え?」

 瑞希が、ふっとため息をついたような気がした。

 沈黙。

「私、誰も信じていなかった」

「どうした、いきなり?」

 鳴海は訊きながら、瑞希の口調が微妙に変化していることに気がついた。

 それまでの毅然としたものから、

柔らかなしっとりしたものに変ってきている。

 もっとわかりやすく言うなら、色っぽく感じられた。

「……みんな私が悪いの」

 聞くなり、胃のあたりが締めつけられるような気がした。

 どこかで聞いた台詞だ。

 それも、物凄く不吉な場面で――。

2

「悪いって、何が?」

 鳴海の腕に回した瑞希の腕が、少し震えた気がした。

「私、恋人が死ぬのを知っていたのに

……何もできなかった。今回もそう。

伯父が死んでしまうかもしれないと思っていたのに

……何もできなかったわ」

 瑞希の声は、微かに震えていた。

「恋人?」

「3年前……東京にいた頃に付き合ってた人。藤村徹司」

「……藤村」

 脳裏に、ずんぐりとした体格の白髪の男の姿が浮かんだ。

 ―――苗字が同じだけか、それとも……。

「あなたの上司の息子よ」

 ―――やはり、そうか。

 鳴海は納得した。

「その……恋人が死ぬのを知っていた、とは?」

 聞きたくないような気がしつつも、鳴海はそう訊いていた。

 瑞希は静かに話し始めた。

 当時、瑞希はそこそこ有名な新聞社に勤めていた。

 中でも、最も部数争いが熾烈な夕刊の編集部に配属され、

意欲的に取材に駆け回ることになる。

 ある時、瑞希の元に電話がかかってきた。

 特ダネを握っているという、一般人からのタレコミ電話だった。

 この電話の主が藤村徹司だった。

 藤村徹司は、クラインエンタープライズ東京支社に勤める社員だった。

 だが、徹司はただの社員ではなかった。

 徹司は自らの上司で父親でもある藤村の要請で、

秘密の仕事を任されていた。

 秘密の仕事についての情報と不正な金の動き

……それらが藤村徹司が瑞希に売ろうとしていたネタだった。

 ところが、情報は裏が取れていなかった。

 徹司を通して、

不正な金の動きと秘密の仕事をしていたという証拠

――資料を幾つも集めなくてはならなかった。

 瑞希は、頻繁に徹司と情報を交換するようになった。

 直接会い、お互いのマンションを行き来したりもした。

 そうして、ごく自然に2人は親しくなっていった。

 こういうのを恋人といえるのかもしれない。

 そう意識し始めた瑞希は、思いきって相手の気持ちを確認してみた。

 徹司も同じ気持ちで瑞希を想っていた。

 だが、幸せな時間はそれから間もなく終わりを告げた。

 急に徹司が瑞希へ渡した情報の公開を拒んだのだ。

 理由を言わないまま、

徹司は瑞希の部屋から資料のすべて持ち去り、

2人はそれきり会うことはなかった。

3

「腹が立ったわ」

 どこか疲れた口調に、鳴海は黙り込んだ。

 聞く限り、徹司がただ心変わりをしたわけではないと思っていた。

 おそらく何らかの圧力が働いたのだろう。

「……彼は脅されたんじゃないか?」

 鳴海は慎重に言葉を選んで言った。

「私も今はそう思えるわ。

でも、その時は頭が真っ白になって……

彼のことを腰抜けだと思っちゃったの。

いざとなったら逃げ出すなんてズルイって。

自分の立場が惜しくなったんだとか、そんな風にしか思えなかった」

「わかるよ」

 鳴海は言いながら、当時の瑞希を想像してみる。

 気丈な瑞希のことだ。

 相手を決して許さず、猛烈に腹を立てたに違いない。

 一方で、大切なものを失った悲しみを

怒りで紛らわせていたはずだとも思う。

「――それで……彼が殺されたのは?」

「資料のせいだと思う」

 言葉を切り、瑞希は軽く深呼吸をした。

「これでわかったでしょう? 

私があなたの上司の藤村を信用できないわけが

……あの人は、息子よりも会社を優先したのよ。

秘密の仕事をやらせていたのは藤村なのに、

息子がしようとしていることを止めるために、殺したんだわ」

 ―――口封じのために、自分の息子を……。

 直接手を下したのは、藤村ではないだろうと思う。

 それでも秘密の仕事にまつわる社のマイナス面を

暴こうとした息子が始末されることは知っていたはずだ。

 つまり、鳴海も秘密の仕事をやらされている以上、

一歩間違えば簡単に消されるということなのだろう。

 今なら瑞希が藤村を信用できない理由がよくわかる。

 初めて会った時に瑞希に鳴海にこう訊かれたのだ。

『――会社はあなた1人を派遣したの?』

 あの意味も今ならわかる。

 徹司と同じく秘密の仕事をやらされている鳴海に、

瑞希はかつての忌まわしい記憶を思い出していたのだ。

 あの時の瑞希の眼には、

鳴海は何も知らない哀れな捨て駒に見えていたのかもしれない。

「………いざとなれば殺す、か」

 瑞希は頷いたようだった。

「私ね、目撃者でもあるの。

彼と別れて1週間と経たないうちに、

ショッピングセンターで車を見かけて……

トランクが半開きで変だと思ったのに、

彼に会いたくない一心で無視したの。

そうしたら……彼は車ごと吹き飛ばされて――」

 語尾は震えて、消え入るように闇に溶けた。

4

 そこまで聞いて、あることを思い出した。

 研究所の駐車場で、半開きのトランクを眼にして瑞希は足を止めた。

 あの時の緊張した瑞希の横顔を、鳴海ははっきりと覚えている。

「……瑞希のせいじゃない」

 気がつくと、鳴海はそう言っていた。

「でも、知ってたのよ。知ってたのに……

伯父の事だって……伯父の様子が変だって気づいてたのに、

何もできなかったわ」

「瑞希のせいじゃないよ」

「でも」

 言いかけた瑞希を、鳴海は思わず抱き寄せていた。

 両腕の中にすっぽりと収まった瑞希の身体は、

思ったよりもずっとか細く、小さく震えていた。

 鳴海の胸に顔を埋めた瑞希の涙にシャツが濡れ……熱い。

「自分を責めるな。仕方なかったんだ」

 瑞希はわずかに首を振った。

 しばらく、そうして瑞希の肩を抱いていた。

 細い肩の震えは、少しマシになっていた。

 やがて、瑞希がそっと身体を離した。

「……ごめん。鳴海」

「謝るなよ。これであいこだろ」

 鳴海が冗談めかして言うと、瑞希は微かに笑ったようだった。

 そして、不意に温かいものが唇に触れた。

「ありがとう」

 瑞希は照れたように言って、鳴海の手を引いて歩き始めた。

「い、今のは?」

 思わず訊く鳴海に、瑞希は笑った。

「明るかったら、わかったのにね」

 悪戯っぽい口調は、いつもの瑞希だった。

 鳴海は少しだけホッとする。

 ところがいくらも歩かないうちに、鳴海の足元がぐらりと揺れた。

「――あれ?」

 鳴海はその場に膝をついた。

「鳴海?」

 心配そうな瑞希の声に、鳴海は答えられなかった。

 手を放し、冷たい床に両手を置く。

 身体を支えようとするが、腕に力が入らない。

 胃のあたりがムカムカし、耳の奥で心臓が鳴っている。

 不意に襲ってきた強烈な眩暈に、そのまま床の上に倒れ込んだ。

 瞼の奥に、白い火花が散ったような気がした。

 鳴海は意識を失った。

***

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