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俺は普通だ。
普通の人生を普通に生きてきた。
とりわけ目立つほうでもないし。
地味でもない。

そこそこ彼女もいたし、仕事も順調だった。


あの日、母が死ぬまでは…

まだ少し夏の匂いが残る9月の末。
夏休みも終わり、その残り香は人々を包みながら秋の訪れを伝えていた。
暑さの残る中、母が入れたハンカチで汗を拭う。
クールビズが流行になってまだ幾年も経ってはいないが、昔からスーツが暑いのには本当に嫌気がさした。
いくら軽装が主流でも、礼儀作法に煩いこの国では簡単に変わるわけもない。
母も。
何故か俺にスーツをきちんと着せたがる。
小さい頃からそうだった。
けれど、スーツをきちんと着こなす俺を見て、母が優しそうな顔で笑うから。
スーツは嫌いでも、着るのは嫌いじゃなかった。
今日も、仕事に出かける俺を優しい笑顔で送りだしてくれた。
別にマザコンじゃないが、母は好きだ。
厳しい時は本当に恐いが、何故かその言葉に自信をもらう。
27年の人生、母の言葉は俺を何度も救ってくれた。

15歳の時、勉強も部活も上手くいかなくて、家出を試みたことがある。
知らない土地で一人で生きるんだと浅はかな考えだけで飛び出した。
結局、県を二つ越えた所で母に見つかり、連れ戻された夜、俺の頬に一発ビンタした母の目には、生まれて初めて見る母の涙があった。
『逃げ出してもいい。辛かったら立ち止まってもいい。でも、母さんだけは、死ぬまであんたを守るから。』
そう言って背を向けた母に。
俺は頭があがらなかった。

22歳の時、大切にしていた彼女が浮気をして別れたことがある。
3年付き合って、結婚をしようと思っていた矢先のことで、俺は生きる気力がなくなったように毎日を過ごしていた。
飯も食わず、寝ることもせず、ひたすら仕事をしていた。
仕事先で倒れるのは目に見えていたことだった。
病院のベッドの上で目を覚ますと、母が優しく笑いながら俺をみつめていた。
『無茶しすぎよ。誰に似たのかしらね…。』
そう言いながら、林檎の皮を剥いてくれた。
少し寂しそうに目を細めて、こう言っていたのを覚えている。
『愛することは素敵ね。あんたもそんな歳になって、母さん嬉しい。でもね。自分を大事にしなさい。愛した分だけ、あんたも愛される日がくるから。』
耳に心地よい母の言葉を聞きながら眠りについた。
目が覚めると、すがすがしい朝日に涙が出た。
母の言葉は。
偉大だった。

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