四章:Lトランス

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  あどけない顔で眠る恵流を自分の思い付きで起こしてしまうのは偲びない。実は恵流は睡眠状態を疑似的に再現する事に必死になって脱力しているだけなのだが、イリスがそれを知る由もない。 「ですから菖蒲さん。差支えない範囲で構いません。かえって、些細な日常の風景などが好ましいでしょうか」 イリスは再び菖蒲に向き直ると、胸の前で両手を合わせ、ニッコリと微笑を浮かべて小首を傾げた。 「わたくしに恵流様の事を教えていただけませんか? 菖蒲さんが知っている恵流様を、能う限り沢山」  ◇   ◇   ◇ 「え、やだよ」 今回の周回で二度目となる『イリスと仲良くなる為の時間』。時間移動が行われた直後に菖蒲から団欒の誘いを受けた恵流は、一考するでもなくにべもなく断った。 何処か疲労の色を滲ませる菖蒲の様子に気付いていながら、恵流は料理の載ったお盆を菖蒲に押し付ける。 「イリスさん、とっても健気だよ。のえるの事を知りたいってお願いを断り切れなかった私が、のえるの生き様を詳らかに語っても、その気持ちを衰えさせずに踏み止まって、本人との会話を望むいじらしさ……少しは配慮してあげてもバチは当たらないと思うんだけど」 "邪を祓う力"の庇護にあるイリスには優しい嘘も通じない。「知らない方が良いと思うなぁ」「いえ知りたいです」「絶対に後悔するよ?」「しません、きっと」何度かの押し問答に早々に屈した菖蒲は、イリスの言葉を信じ、開き直って恵流の悪逆非道の数々を暴露した。 そして、イリスは「わ、わたくしなどには及ばない深いお考えをしているのでしょうっ」「やはり恵流様は独特の正義感をお持ちなのですね」なんて具合に菖蒲の信頼に見事に答えて見せて、最後には「興味が尽きません。かくなる上は直接お話ししてみたいです」と、虚ろな目をして言い切った。 菖蒲はこれに甚く感動を覚え、イリスもまた菖蒲と奥深い勝利の感覚を共有したという。それは一つの意地であった。 「健気である事に報酬を求めたら、それは媚びでしょ」 「そうだね。のえるに感情論で訴えかけた私が間違いだったよ……でも、イリスさんからの誘いを拒むのはどうして?」 どんなに強くなっても怨念の蛇≪ウロボロス≫に触れられなければ意味がない。 イリスの方に歩み寄りの意思が芽生えたのは、戦力拡充の絶好の好機と捉えて然るべきだろう。
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