‐できれば僕は平穏な生活を過ごしたいのに‐

7/11
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
 その証拠にほら、こうして僕が懸命に函薙を押し倒してぶん殴ってやろうとしても、天井に設置された監視カメラの向こうの女性には僕らが見えているはずなのに、一向に出てくる気配が無い。  と思っていたけど、そう言えば彼女は常識で括れるような人では無いのだった。  レジの向こうのスタッフルームから漂うただならぬ空気(殺気)を感じたのは多分、僕だけではない。と言うか僕が怒り始めてからずっと、函薙はそっちの方しか見ていなかったのだ。  だからこそ僕は切れたのだが。 「うわ、来た。」  函薙は体が大きい。勿論縦にもそうだが、逞しいと言う意味で横にも大きい。そんな奴が情けなくも『うわ、来た。』等と顔を歪ませて仰け反って、そう洩らすには大いなる理由がある。  ツカツカとレジの横を縫うように通り過ぎて僕と函薙の間に割って入った(これがまた良い匂いがするんだよ)その女性は、僕の目が節穴でなくとも、鬼の面を被った般若武者に見えた。  開口一番、怒鳴った。 「恭ぅ平ぃっっっ!!!!!」 「うわぁ、なに怒ってんだよオマエ。」  ついこの間175センチに伸びたばかりだと言う函薙の胸ぐらをがっしりと掴んで、発砲スチロールでも扱うかのように前後左右あらゆる方向にぐらぐらと函薙の大きな体を揺さ振るその女性は、天皇恭子と言う。『てんのう』ではなく『すめらぎ』と読む。テンノウだってーエラソーなナマエしてんじゃん、なんて口軽にもそんな事言ってしまった日には、同日内にあの世を目にできる事だろう。 「恭君怒ってるじゃない! 何してんのアンタ!」 「舌っ! 舌噛むから! ヤメっ! ぐぇ。」  激しさを増すばかりの恭子さんの暴挙に、函薙は色んな物が(例えば目玉とかが)飛び出そうになっている。まったく良い気味だ。清々した。やっぱり恭子さんはいつでも僕の味方なのだ。  ところで函薙から聞いた話だから事実かどうかは疑わしいが、恭子さんは、柔道、剣道、空手道、合気道にテコンドー、弓道、書道、茶華道、と道の付く物の殆どを一通り熟せる超凄い人だ。しかも、函薙と大差ないくらいの背の高さを持っている。そんな人に凄味の効いた激怒の形相で迫られたら一溜まりも無いけれど、普通にしていれば結構な美人でもある。レジ打ちをしていて何度か雑誌のモデルに誘われた事も有るらしい。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!