不在

“怒られる”っていうのは 幸せなことです。 別に『怒られるうちが華』とか『怒られるのって気持ち良いよね』とかじゃなくて。 私が言いたいのは もし母親におこられたら 「うざいなぁ」じゃなくて 「ああ、お母さん  今日も元気だな」 って思えば良いってこと。 “怒る”っていうのは、 極端なはなし 『怒っても相手は死んだりしない』『言い返しても相手は死んだりしない』 『明日も変わらずいてくれる』 っていう心の本当に底の底の 無意識の中の信頼があるから “怒る”っていう行為に 及ぶのであって、 上の3つのうち、一つでも欠けたら怒れない。 貴方は明日死ぬかもしれない病気の母親に怒ることができますか? 貴方は今にも死にそうな我が子を叱ることができますか? “怒られる”とはつまり 『両者が心身共に健康』 であることを示していて、 『親子で今日も健康』 の何処に不満を覚える ポイントが? 事故で突然母親を亡くした 先輩がいいました。 「今日も帰ったらいつも通り『勉強しなさい』って怒られるんだって帰っても、お母さん怒ってくれないんだ。」 「怒られてた頃は家族揃っててしあわせだったなぁ」 病で母親が倒れた 先輩がいいました。 「母親が倒れてから1回も怒られたことなかった。家の中が静かで、寂しかったよ」 「死んじゃってからも誰も怒ってくれないんだぁ……」 だから 「怒られるのは幸せなことです」 って 「先生が言ってました。」
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なんか あれですね そう考えるとやっぱり大事な存在なんだな って思います
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ですよね。 先生に「いやぁ、親が勉強しろってうるさいからー」っていったら、 こういう内容の講義を30分されて、おおおと思ったので 自分なりにまとめてみたんです。 アニメとかドラマの中とかで、ときたま取り上げられる話題ですけど それだけ大事な存在だなぁ と思います。 まぁ、怒られて勉強するかは 別として。(* ̄∇ ̄*)

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