天川 青大

この作品を改めて読み返しました。 再々読。つまり3回目です。 最初のレビューを書かせて頂いた時に2回、読み返しているのです。 日付を確認したところ、平成24年12月23日となっています。 ストーリーは分かっています。 では、半年を過ぎて、もう一度、読み返したいと思った理由とは? 筋立ての記憶が薄れたから? そうではありません。 初見で、極めて印象が深かったからこそ、レビューを付けたのです。 優れた作品から受けた【感動の記憶】は、普段は忘れていても、何かの拍子で甦り、もう一度、読んでみたいと、衝動を喚起するのです。 それは再読に堪える何かです。 さて、何でしょうか? 勿体をつけてますね。 どうせ書くなら印象深いレビューをと考えるからです。 ちょっと横道へ。 実は、レビューこそ、クリエイターの腕の魅せどころで、読者の関心を惹き付ける絶好の機会となり得ると考えています。 この短編は素晴らしいが、しかし、この作品の美点を余すところなく読み解いた、このレビュー主とは何者か? どんな作品を書いているのだろうと興味を持って頂けるからです。 計算高いようですが、クリエイターなら、その程度の欲は、有って然るべきだと思います。 では、レビューに戻ります。 結論から言うなら【深い感動を再び味わいたい】からです。 『マトリョーシカ』を初見で読んだ時、この作品を、きっと、また読みたくなる。 そんな予感がありました。 冒頭、踊り場のシーンで、若き宝石職人・ミハイルが登場します。 主人公ソーニャの恋の相手かと思いきや、読み進めると、そんな暢気な話ではありません。 間もなく父親が亡くなり、借金の為に、ソーニャが幼い妹と共に邸宅を追われる物語です。 父親は息を引き取る直前に、マトリョーシカをソーニャに、万華鏡を幼い妹に遺します。 他の家財は借金のカタに全て失います。 この成り行きの中で、金や欲にまみれた人間の醜悪が描かれます。 マトリョーシカに仕込まれた真実とは? 読者は、物語の最後になって、ようやく青年ミハイルが冒頭のシーンで登場した意味を知る事になります。 見事な構成力です。 映画を観ているような錯覚に陥るのは、言うまでもなく、作者様の言語表現の力です。 文学とは言語表現による芸術という意味です。 鮮やかな手腕に敬意を表し、拍手を贈ります。
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マジシャンさん お返事遅れましてすみません。 拙作「マトリョーシカ」へのレビュー、どうもありがとうございます。 再読していただいた上に、そんなに高く評価して下さって恐縮です。 前にもどこかで書いたかもしれませんが、この「マトリョーシカ」は他サイトで最初に発表した際に、「中身がすかすか」「再読に堪えない」と酷評された上に、サイト内にいた他の作者から「自分の方が巧く書ける」と挑発目的の盗作までされた作品です。 その後、加筆修正を重ねて現在の形になり、ここに発表するに至ったわけですが、最初の評価から考えると、マジシャンさんのレビューは本当に感無量です。 現在の形にする前に旧ソ連時代にロシ
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こんばんは。 なるほど。そうした経緯で何度も手を入れられたのですね。 どおりで完成されている訳です。 批評というのは、どうとでも書けますからね。 今や不動の人気作家、東野圭吾の作品にすら、批評を加えようと思えば、何とでも言えます。 ノーベル文学賞候補の村上春樹の作品でも同様です。 況んや、アマチュアの作品なら、誰でも言いたい放題です。 だから、僕は誰にも批評を求めません。 【ろくでもないアドバイスなんて要らないから、放っといてくれ】のタイプです。 レビューが付かないのは、面白くないからと解っています。 こころ優しいクリエイターの友人は驚くほど早く感想をくれますし、創作に熱心
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