同心円

さて、何か書きたくて仕方がないので適当に語ることにする。何がいいだろう、そうだな、創作における猫について少し語ってみるか。創作、主に小説や漫画では、オス猫はメス猫に比べてやや滑稽な存在として描かれる節がある。ギャグ漫画やギャグ小説、特にアメリカ産のモノはその傾向が顕著だ。少なくとも「トムとジェリー」を知っている人ならおいらの意見に頷いてくれることだろう。さて、ではなぜオス猫とメス猫でここまで扱いが違うのか。それはやはりイメージによるところが大きい。猫には常に幾つかのイメージがついてまわる。すらっとした体躯、人に簡単に靡かない上品さ、気まぐれで自由な行動。これらのイメージは他の動物ではあまり見られない。さて、よく考えてみよう。これらのイメージという色眼鏡でメス猫を見る、するとどうだ、何処かのお嬢様みたいに見えてこないか? これではあまりにもいじりにくい。だってお嬢様だもの。故に滑稽な描写は可愛らしい程度に収まる。しかし一転、オス猫を見ると、何故か生意気な若者に見える。これはあれだ、むしろいじってやらなきゃイライラする類だ。だから滑稽な描写はとことんまで滑稽にされる。とまあ、こんな風に論じてみたはいいが、実際あくまで個人の意見でしかない。そもそもオス猫をかっこよく描写している漫画や小説もあるし、メス猫を滑稽に描写している漫画や小説も……いや、見たことないけど多分きっとある。軽く流してもらって結構だ。同心円は猫好き、という認識をされることはもとより覚悟の上である。というかまあ、性格が変わってしまうくらい猫好きであることを既にして公言している。ただまあ、猫ならば何でもいいというわけでももちろんなくて、どんな猫もそれぞれに好きな理由がある。だから作品内で使う時も常に厳選している。どんな一人称にするか(同心円は基本的に一人称小説しか書かないのでこれが最も重要な要素となる)、性別や名前は、身体の特徴は、知能はどれくらい、特殊な能力の有無、人間で例えた時のイメージなど、作中人物を作るよりも念入りに作っている。似合わない人間が登場するのはどうでもいいが、似合わない猫が登場するのは許せない。猫に関しては極限まで妥協しない、それが同心円という作家である。逆に言えば、おいらの「猫好き」って発言はその程度でしかないということだが。読みづらい? その割には最後まで読んでいるじゃないか。

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