最近よく感じます。何が正しくて、何が正しくないのか。 そんなことは人間が決めるこのではなく、全が必要だから自分の前に現れてくる。 自分の何気ない言動は、自分の周囲の存在に何かの影響を与え、それは全てが必要なのだと。 だから、もう怯える必要はない。 全てを叡智に委ねればよいのだと感じるようになりました。
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その言動で自分を愛せるか? それが見えてくれば、怖くなくなりますね。人を認めてやらせてみる事が一番であり、自分の使命は自分の道にあると分かってきますよ。
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滑稽なほどに人から馬鹿にされようが、どう思われようが、自分がこれだと思うことをただ信じてやって来ました。 改名前はそれらは奉仕のため、他者のための振る舞いと認識し、それが理解されないときに苦しみが生まれていたように感じます。 しかし、この振る舞いは自己の内なる叡智がそうさせていることで、全ては自分がそうしてきたこと。誰のせいでもなく、自分がその時々で正しいと思うことを選択してきたことでした。 そんな自分をやっと愛することが出きるようになりました。 長文失礼しました。コメントありがとうございます。
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