南戸かなる

能には疎いもので色々と調べ物をしてから読み直すと、この詩集の完成度の高さに改めて驚かされました。 伊勢物語の筒井筒は個人的に好きなお話だったのですが、こういう能の演目があるとは知りませんでした。こうも切ない物語になるのですね…こちらもまた味わい深いです。水鏡、テーマにいちばんしっくりきて、目に鮮やかに、そしてしっとりと場面が浮かびました。 女性の恨みや嫉妬って蛇に例えられるのか、蛇帯って名前の妖怪がいたことを思い出しました。確か能面にも女性の恨みの最終形態のような感じで蛇になったものがあったような…?すみません、これは調べていないので違うかもです(´ω`;) ここからどうお題の金魚に結びつくのかと思ったら、燃えさかる炎と鐘に巻き付く蛇の鱗が鮮やかに焼き付いて。こう帰着させるとは脱帽です! 最後の殺生石、独自の解釈もまた面白いですね!なんだか楊貴妃を思い出しちゃいました。傾国の美女と呼ばれスケープゴートにされてしまったイメージ…妖艶な玉藻御前に勝手に骨抜きにされて、勝手に敵と祭り上げられてしまっただけかもしれませんね。今はただ眠りたい…、ゆっくりと眼を閉じる美しい九尾狐が目に浮かびました。 能を知らずともイメージを明瞭に読者に抱かせる手腕はやはり流石です。 これをきっかけに能も観てみたいなぁと思いました! 素敵な作品をありがとうございました(*´ω`*)
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レビューありがとうございます♪ この詩集をきっかけにお能に興味を持っていただけたようで、とても嬉しいです(^^*) 能面には男面や女面といった分類がいくつかあるのですが、「金魚」の詩の演目で使われる「般若」は怨霊面という分類です。名前からして、おどろおどろしいですよね(笑) そして、ご指摘のあった蛇の面は「蛇(じゃ)」といって、女性の怨念の最終形態とされています。 余談ですが、女性が強い怒りや恨みを抱いて、最終形態の蛇へと変化していく段階は、能面でも表現されています。 生成(なまなり):半分蛇になりかかっている状態 ↓さらに恨みがつのる 般若:蛇になった状態 ↓さらにさらに恨みがつのる
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