先日久しぶりに骨太ドラマをみました 終戦特番未来遺産「生きろ」です ここでこの島田あきら知事がどれだけ異例だったか書きます、まず島田が輝かしい経歴を全て捨てた所に前に知った時驚きました、当時の官選知事と言うのは閣下と呼ばれる高い地位で大阪と言えば東京につぐ副帝都、その知事に42才でなったんですから、50ぐらいには日本最大の官庁内務省大臣の座が待っていると言っても過言ではありません 知事の当時でも年俸2000円(当時一般庶民は100円あれば生活できた)は行くでしょう 神宮のスターでスポーツ万能、奥様は美人で娘は超美少女、こんな恵まれた人生、赤の他人のために捨てられますか? この島田知事の好んだ言い回しがあります 『俺がやらなきゃ誰がやる』でした 島田と共に命を捧げた警察官の鑑荒井本部長、禁を破り軍の電文を民政に使った太田少将、市民の替わりに残った特高課長、軍官の偉人達に今更ながら感謝と追悼を捧げます、同時に沖縄で死んだ多くの人々にも祈りを捧げます

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