年越し煎餅

お盆の季節が終わり、日本と韓国が色々と揉めている国際情勢。 そんな季節柄に合わせてみた私個人の歴史的な説を一つ。 参考資料 ・朝鮮三国史 ・古事記 ・日本書紀 ・続日本書紀 ・晋誌 以上の資料をパラパラと捲ってまいりますと、面白い記述が年代的に整理しますと見えてくることがあります。 以下は私の個人的な説です。 古代朝鮮半島には、扶余族と呼ばれる高句麗国と百済国、そして言語の違う新羅国、加羅国があったようです。 この中で朝鮮族と後に言われるのが、高句麗国、百済国。 新羅国は倭人王と書かれておる箇所もあるようで、正確に書けば朴氏、金氏は不明ですが、昔氏に至っては倭人です。 ただ新羅王家は朴氏、金氏、昔氏の三氏が即位した王国なので、朴氏、金氏は朝鮮族だと主張されれば、朝鮮族の国なのでしょう。(言語が異なっていたことは謎ですが……) また百済国は、どうやら二つに分かれていたようです。 簡単に言えば、扶余族系百済国と倭人系百済国。 百済国で有名な王様で武寧王と言う王様が居ます。 この武寧王は斯摩(シマ)君。 出身が肥前国(佐賀県)加羅島。 母親は倭人で筑紫国(九州北部)。 どうやら父親が人質として筑紫国に居た際に倭人の母親と結婚した模様。 さて当時の筑紫国(九州北部)には、筑紫君磐井と言う王様が居ました。 この磐井は無謀にも神功皇后へ反乱を起こし討伐されてしまいます。 しかし実態は九州北部を始めとして、かなりの権勢を誇っていた人物だったそうです。 中央政権の朝廷としては、筑紫君磐井をかなり警戒していたようで、神功皇后にとっては討伐する必要があった。 ここまで書けば御察しの通りで、筑紫君磐井は朝鮮半島の百済国、新羅国も治めていたのではないか? 百済国の武寧王の母親は筑紫君磐井の親族? 武寧王の母親の柩が近年発掘されました。 その柩は高野槙が使われていたことが判明しています。 高野槙は日本だけ生えている固有の樹木。 南朝鮮半島には日本に似た古墳が点在します。 きっと倭人の王族が住んでいたのでしょう。 因みに百済王はクダラノコニシキと読み、日本では『王』ではなく『君』の身分だったと考えております。
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煎餅さんお久しぶりです。 大変興味深い説ですね。倭人王がいたという話は良く耳にします。しかし王ではなく君だったとは。 私もそちら系の資料を集めてみたくなりましたぞ(・∀・)
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御無沙汰しております。 百済国、新羅国……と、同様な表記で各都市の加羅国や筑紫国など書かれておりますので、『君』か『公』の表記かと。 百済国は万世一系とされていますが、どうやら違うようです。 万世一系なら『国造』の方が適切かもしれません。
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