ゆきみ

才能って言葉がある。 それ自体は存在するものなのだろうとも思う。 しかし、それって軽はずみに使っていい言葉ではないと言う事がなぜわからない。 ゴッホは今でこそ評価されている。だが実際は12人の画家に声をかけて村で絵を描こうとしたが裏切られ失意のなかで自殺した。 彼の代表作向日葵は彼らに渡すための本だった。 夏目漱石はその現代でも通じる文章がゆえに時代を先取りしてしまい異端にされたし、太宰は才能に振り回されて心中。 特に芸術における才能って、その人の人生だと思う。苦しくて悲しくて辛い。 そんな感情がこれでもかって位入ってるから彼らはあんなにも素晴らしく心を打てる。 メディアの発達で言葉が軽くなった今だけど才能と言う言葉について考えてみて欲しい。 僕からすれば才能なんてプロの人でもほとんど持っていないのだ。 それでも努力と苦労を累乗してそこにいる。 彼らを尊敬するからこそ、その程度の言葉での称賛はしてはいけないし、才能がないなんて言葉は本来間違えた言葉なのだ。 と才能もセンスもない屑がかたる
1件

この投稿に対するコメントはありません