紅多朗

「やらない善よりやる偽善」とはいうが…… 手段と目的をごっちゃにしてるのは呆れる 偽善は手段として使われるが、偽善が目的なら行き着くのは「偽り」であり、真実にほど遠い。悪よりも非難されるべきことだ 忘れてはならない。指導者や支配者が善であれ悪であれどうであれ、いつも争いの動力となったのは奴隷どもの偽善であることを ―と、かっこつけとところで、 馬鹿が群れて騒ぐのはどんな時代にもあるからどうでもいいけどね。(ごく常識で嘆くことじゃない) でも、愚か者には、馬鹿を馬鹿にするのが楽しいのさ

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