年越し煎餅

嘘で固めた中国の歴史② 黄河文明と長江文明の共通点である商人系の形態がある都市国家が分かる事例では、ベトナム、カンボジアそして日本の還豪遺跡がある。 黄河文明と長江文明を築いたとされる民族は、現在の所は謎であるが、黄河文明と長江文明は全く別の民族である。 黄河文明は北からやって来る遊牧民族によって早くも一つの国へと纏まる必要性があり、後の殷(夏)国と呼ばれる国家が形成されるが、殷の時代でも長江文明は都市国家の形態のままであった。 殷の後が周。 周は、殷の周辺民族との攻勢の逆を方針として異民族を分裂させ、臣従する異民族に爵位を与えて連合国を作る。 その後、春秋時代、戦国時代を経て周は滅び、秦が魏、斉、楚、韓、晋……などの諸国を滅ぼして『初の統一国家』を作った。 また、分裂していた国が各々『王』を名乗っていたことから、王の上位である『皇帝』を名乗ったのが『始皇帝』である。 始皇帝の業績で有名なのは焚書と呼ばれる書物文献を火で焼いたことである。 中国の毛沢東も焚書をしたが、毛沢東の焚書のようにチンケなものではなく、始皇帝は秦以外で書かれた書物文献以外を焼いた。 その理由は、漢字と呼ばれる文字が諸国バラバラであり、始皇帝の業績は焚書によって言葉と文字を統一したことである。 このことから秦の始皇帝以前の民族は、所謂漢民族ではない。 そして秦の始皇帝も漢民族ではなく異民族である。 つづく
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