年越し煎餅

嘘で固めた中国の歴史③ 秦の歴史を紐解けば面白い。 秦の始まりは、周が治めていた国の西に当時、西戎(チベット人)が住んでいた。 この西戎の中の犬戎と呼ばれる部属が度々周の国境を荒らす。 秦は、西戎の一部族で昔から周に牧(馬の牧場)を司る者として仕えている。 そして周の都(関中)が犬戎によって蹂躙されている時に秦の祖先は王の御者として救った功績により、周の西側の領土を貰ったのが始まりである。 要は始皇帝はチベット人だった。 始皇帝が定めた文字の中には、農耕民族には珍しい文字が含まれる。 それは『羊』 羊は主に遊牧民族が飼う家畜で、遊牧民族は羊の餌となく草を求めて移動する為、定住する農耕民族とは違う。 この『羊』の文字は様、洋、義、養、議など様々な形で表され身近なものが多い。 また、秦は長江文明の玉器文化を持ち込み、玉(ギョク)と呼ばれる白玉(ハクギョク)、翡翠などの石を珍重した。 漢字の完璧の『璧』は玉のことであり、代々の皇帝のみが使用出来る者の素材となった。 白玉は天山山脈が原産地だ。 日本へ伝わった文字は始皇帝が定めた文字で、神道の勾玉の翡翠は、長江文明からの流れで秦の風習である。 某左翼の文化人が『日本文化の源流は中国にある』と言うが、正しくはチベットである。 因みに稲作の伝播は、揚子江流域だと私は考えており、中国人から伝わったものではない。 朝鮮半島から伝わった説を唱える者がいるが、現在まで米の出土品で日本より古い米の出土品が朝鮮半島から出土した形跡はない。 また今後もないと言える。 次は謎の中国人と中華思想の源流を述べたい。 つづく
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