ケンカツ

いつも夜分遅くにすみません。ケンカツです。 コメント拝見しました。僭越ながら私見をガチレスさせて頂くと。儒教の大家、孔子は。 詩によって興り、礼によって立ち、楽によって完成するといいました。 儒学の本質は、完成された聖なる人格。即ち君子になる事を目指しているんですが、その始まりに定義されているのが、詩心です。面白いですね。 小説というのは、読者に、行間を読ませる媒体でもあります。その点で言えば、作品の書かれていない部分を読者の想像に委ねているので、読者側も作品を一緒にクリエイトしていると言えるでしょう。 極論しますと、小説とは書き手と読み手による、詩心の交流であると思います。 まぁそう言うと、文化的作品全体がそうなんですが。情報が文字しかない分、小説はより、根源的ですね。頭で文字を読んでくる分、心に割って入る力が強いと思います。 あと、これまた極論ですが。結果というものは、過程を素晴らしくするための要素に過ぎないと思ってます。 なぜなら、結果が全てだと。オリンピックで金メダルを取った人々は、皆死ななければなりません。それ以上の結果など無いのだから。 もっと言えば、我々も即、死ななければなりません。人生の結果は、死なのですから。 過程を重視するとは、結果を鑑みて、昨日より今日、今日より明日と、日々進化向上していく事です。 成功も失敗も、判断材料の一つにしか過ぎません。 悩みというのは、現状を良くしようと悩むのですから、それ自体が成長の証です。大いに悩まれると良いでしょう。 菜根譚に言う悟りとは。考え方の工夫です。これを機に、猫さんが大いなる飛躍をなさいます事を、お祈りしております。 ・・・う~む、深夜に文章を書くと、感傷的かつまとまりが無いので、駄目ですね。見流して下さいませ。
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ケンカツ様、非常に深い考察とご意見、ありがとうございます。 詩心。哲学なぞ門外漢の私は存じ上げませんでした。 なるほどそれは面白いですね。 詩心という概念が何なのかも存じ上げないのですが、創作とは他者との心の交流であって、物質的な豊かさとはまた違う次元にあるような気がしています。 創作とは、何なのか判然としませんが心の中にある何か柔らかい部分を豊かにしてくれるなぁと常々感じております。そして、何故か漫画よりも小説の方がその柔らかい部分を沢山刺激してくれるような気がするのです。その心を極めたものが君子であるなら、君子とは決して完全無欠の超人では無い、現代の社会においてはむしろ弱い存在のよ

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