かりたい

 最新話まで読ませて頂きました。現代の恋愛を夢十夜に落とし込むという趣向は非常に面白いものであると存じます。実際、期待して読ませて頂きました。  しかし、最新話まで読ませて頂いて感じたことは、本当に夢十夜に落とし込む必要性があったのかということでした。本家『夢十夜』の第一夜は、主人公がひたすら、愛し愛された人を待ち続ける話です。しかし、今作の第一夜は、振った女性が苦し紛れに吐いた台詞に、振られた主人公がショックを受けたという話です。話の本質がそもそも違います。第二夜は本家と今作との隔たりが更に大きくなっています。パロディだから違う、という理由なのかもしれませんが、そもそもパロディとは何なのでしょう。文芸批評家のリンダ・ハッチオンによると、「パロディとは先行作品に対する批評的な相違を伴った模倣である」ということです。つまりもしこの作品が漱石の『夢十夜』のパロディであれば、『夢十夜』を読み込み、本質を捉え、それを活かして書いてある筈なのです。  その点で、第三夜は『夢十夜』のパロディであると言えるでしょう。ただ、キャラクターを変えてストーリィを単になぞっているように見える、…と言っては穿ち過ぎでしょうから割愛させて頂きます。  勝手ながら纏めさせて頂きますと、つまり、作者様は私小説チックなモノを書きたいのか、それとも『夢十夜』のパロディが書きたいのか自覚し区別した方がよい、と素人心ながらに思いました。  これからの更新、御活躍を期待しております。

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