箕玉管葉

深く見えて、本当のところ表面を削ったくらいのものなのかもしれない。 でもそれで良いんだ、と胸を張って言えるようになりたい。 言葉を使って、言っても綴っても、どうせ言葉に乗ってるものなんて分かるはずもないんだから。 ただ、誰かの余暇に、部屋の隅の埃みたいにいられればそれでいい。 埃ではないアイデンティティを持って。 隅っこにいられれば、それで良い。

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