年越し煎餅

『粋』と『張り』吉原遊女の嘘と真 最近は吉原を題材にした映画、小説などを観ることが多い。 その内容も意中の男性と別れ、好きでもない男に抱かれる……有り体に言えば同じ内容だ。 では、本当に吉原の遊女達はそうだったのだろうか? どうやらその吉野の遊女達の歴史は私が調べた歴史とは違う。 何故ならその作品には『粋』と『張り』がない。 これは吉原遊女に限らず、江戸の市民が大事にしていた物。 謂わば、『粋』と『張り』が江戸市民の信条であり人生なのだ。 江戸は徳川家康が開いた都市で、江戸の始まりは男の町だった。 他国から仕事を求め、特に北条氏が集めた小田原に住む奈良大工達が江戸の町を建設して行った。 そんな江戸だから多くの遊女達が江戸へ移住するのも当たり前で、その課程で一人の男が小田原からやってきた。 庄司甚右衛門。 吉原を作った男だ。 そして吉原には、そこで住む者が生活に必要な物が揃っていた。 一般住居や料理屋、そして浮気専用茶屋まで。 そんな吉原に住む者は、余裕を楽しむ『粋』と金や権威に屈せず自分の生き方を貫く『張り』を身上に持っていた。 吉原は昼間の営業なので、客となるのは武士が多い。 そんな武士や大商人は、吉原へ『粋』と『張り』を楽しみに行くのだ。 そしてその吉野の生きざまが町人へ伝播して江戸は町人文化を生み出していった。 ここで気になる吉野遊女のテクである。 男は、出せば終わりであるが、高い金を払って抱くのだから、元を取る為に何度もしたいと思うが。 それは吉野では『野暮チン』と呼ばれる。 では、吉原の遊女は一回だけなのか?と疑問に思うが、答えは基本一回である。 しかしその一回が長い! どれだけ早い人であっても吉野遊女のテクに掛かれば出ささないのである。 長時間に渡り女のような快感を味わすのが吉野遊女のテクであって、遊女の中に男が入ることが出来るのは最後の出す瞬間だけだ。 だから吉野遊女が大袈裟に感じる真似をすることはない。 この快感は、普通の女性では味わうことが出来ない。 この快感で徳川四天王と言われた某殿様も藩の財政を傾けたほどだった。 またご存知の通り、吉野遊女は性病で死ぬか誰かに身請けされるかといった人生ではない。 大半が年季明けと言ってある一定の期間遊女をすると解放される。 その後、吉原遊女が吉原へ残るか、他の場所へ行くかは吉原遊女の自由なのである。
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小説で吉野のことを書いていたので、『吉原』を『吉野』って書いちゃった( ̄∇ ̄*)ゞ 知らせて頂きまして、ありがとうございますm(__)m

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