夏野ソラ

「ありのまま」って、自分のわがまま勝手に振る舞っていいという意味では決してないんですよね。 たとえば、弱い自分を認めたくないがために強気に出てしまうとか、ただ怠けたいだけなのに病弱さをアピールしてしまうとか……その言動をする〝本当の理由〟に向き合うという過程が「ありのまま」なんですね。 強気に出てしまった自分の弱さと向き合う、病弱をアピールした自分の怠け心と向き合う……それが〝ありのまま〟という意味なんです。 あくまで、これは「過程」です。 で、なぜそこで〝ありのまま〟が大事なのかというと、たとえば「弱いことは悪いことだ」という評価があらかじめあったとしたら、弱い自分と向き合うことができなくなるからなんです。 批判されると分かっていたら、自分を守りたいという衝動がはたらいて、結局「弱い自分を認めたくないがために強気に出てしまう」という最初の状態に戻ってしまうわけです。 だから善悪、優劣みたいな評価はなしで、まずは〝ありのまま〟の自分を見つめよ、というのが「ありのまま」の本当の意味なんですね。 つまりスタート地点に立つ、ということです。スタート地点に立たなければゴールは目指せませんから。 ですから〝ありのまま〟というのは決して「わがまま」とか「子ども」という意味ではありません。 そして「スタート地点」ですから、ここは満足する地点ではないんですね。 どこで満足するのか、というゴールは自分で決めるわけですが、そこへ向かって歩き出さなくては〝ありのまま〟を実践する意味がないんです。 とはいえ、本当にありのままの自分と向き合うことができたら、わりとすんなりとゴールが見えて、自然とそこへ向かっていけるとは思いますが……。 とにかく「ありのまま」というのは決して自分勝手でいいとか衝動のまま言動を起こしていいという意味ではないっていうことです。
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