中央構造線

僕の祖母は、母親の悦子が三歳の誕生日直前で死んだ。(実母の僅な記憶が60年後に黄泉還る(甦る)) 会葬者が沢山来たのが嬉しくて、ハシャギ周り大人達の哀情を誘う。 生家は名家の故に、五歳の時に後妻様が来た~。 迚躾の酷しい女人で有るがゆえに、愛情を感ぜずなかなか馴染めず、…僅な事にも、悉く強い叱責を喰らい、毎日声をあげて泣けない悔し涙を流した。 小学校に入学した悦子は体が小さいが、機敏で勉強の成績が学年断トツ一な優秀で有ったのが、尚更継母には気に入らず。 電灯を点けて復習して居ると、突然に部屋に入り来て、消灯し誅擲。 「女には勉強は要らない、電気代が勿体ない寝ろ」…と悉く毎晩言われ、 蝋燭の灯りや蛍の光窓の雪⛄が、漏れない様に隠れる様に勉強したそうである。 子供の出来なかった苛立ちを悦子にぶつけて居たのかも、……反面教師? 二十歳で家を追い出される様に、見合い結婚。 嫁ぎ先の義母に義妹以上に可愛がられ、初めて母親の愛情に触れ、感謝と共に夫婦和合し 四男五女の母親になりました。 悦子は、苦い幼少期・旦那様の出征の支那事変・太平洋戦争を乗り越え 家族に愛情慈しんだ人生を全うして、直系の子供9名・孫17名・曾孫5人の家族に笑顔で別れを告げて他界、女の人生を結実した。 時代が変われば、女の生き方も変わる。 現在の日本の指導者や社会の中心を担う、経営者と官僚は傲慢と稚拙過ぎる…怠慢横暴の放射能撒き散らし… 日本社会の現実はこの小説の様なのかも……ね
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作者なんですが携帯からスマホに変えるときに登録を失敗して作者のサイトに行けなくなってしまいました(≧∇≦) 貴重なコメントありがとうございます。 若いころの輝きや70年代の雰囲気を思いだして書き留めました。 あれから日本は良い方に進んでいるとは思えないことが多いけれど若い人たちのためにも年をとってからは勇気を持って生きて、悦子さんのように笑顔で逝きたいと思っているユリちゃんです。

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