にゃん

躁鬱を患って15年くらい経った今、私は粗大ごみ。 それまでの私を知る人間との連絡も、心配と同情に変わる付き合いばかり。 正直重かったのだと思う。 私は親が3人いたが、それぞれ脳、悪性食道がん、心筋梗塞、の順で介護生活にに明け暮れた。 、頭の自分のライフスタイルを失いつつも、使命と言い聞かせ従事する以外、親族の協力などは皆無。 皆、自分の役割分担こそ保つことに重点を置くし。 だけど 介護する私の心情など耳を傾ける興味も余裕も暇も 必要性なども、頭になく。 建前として30分以内の面会で 元来、個人主義が徹底した家系だし、マイペースな私もそう理解した 末期ガンの患者と、死への恐怖を語る、 やり場のなさ 孤独におびえる病人の 義父、 死に近づくと悟るように 少しずつ、無表情から穏やかな表情で 手を伸ばし私の手を 頼りなく握りしめて 微笑んだ。 静けさに 包まれて思い出す 当時2人だけのひみつ 夜間に感じる 手と手のぬくもり

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