あじたま

もうどれだけの人がここを見ているか僕にはわからない。けれど一応書き込んでおこうと思う。何らかの可能性を期待して。 時が過ぎて、人が過ぎて、いつしか自分も過ぎて行って、 気が付けば社会人。苦難も苦悩も色々あったけど、 しぶとくなんとか、今日も生きていられています。 小説は僕にとっては趣味でしかなく自己満足でしかない。きっかけは兄というありふれたものだった。もう十年近く前になる。 ずるずると伸びすぎた髪や着物みたいに、長い事引きずってきたこいつとはたぶんもう縁は切れないと思う。切ろうにも重すぎるし硬すぎるし、自分自身にもそういう気は一切ないからだ。 自分にはこれしかない。それを自分自身が一番よく知っている。希望とか夢とか、たぶんそういう浮ついたものじゃない。藁にもすがる気持ちなのかもしれない。けれどまぁそんな事はどうだってよかったりもするのかもしれない。どんな汚い理由があろうとも、それが自分の生きる原動力となり、自分にとっての生きがいとなっているのは、もはや否定しようのない事実なのだから。 だからこの場を離れても、僕は今でもしぶとく書き綴り続けています。 舞台を小説家になろうというサイトへと移して。 相変わらず閲覧数は三桁も行っていませんが、まぁそれもいいんじゃないかな、とか思っています。 けれど何が悪いのか、何が良いのか。いい加減僕はそれを知りたいと思うのです。 もうどれだけの人がここを見ているのかわからない。けれどもし見ている人がいるのなら、まだ期待してくれている人がいるのならば。あちらのサイトで「Magica」と検索してみてください。作者名free note、素っ気ない各話のタイトルと保険のような前書きが目印です。 僕は誰かのためにあろうとしたけれど、結局誰のためにもあれなかったかもしれない。 けれど僕の、不完全で不器用で、拙い文章で誰かを変えられた ほんの少しでも影響を及ぼせたのなら それは僕にとって、何にも替え難い幸福です。 画面の向こう側の貴方が、これからの困難にどうか立ち向かえますように。 また機会があったら、お会いしましょう。 それでは。

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