江田公三

「自分探し」という曖昧で言い訳じみた言葉が生まれてどれだけ経っただろうか。私たちは「本当の自分」だとか「人生の価値」だとか「自分が自分であること」に、安心を求めている。自分が生きてきた時間は取り戻すことができないと知っていながら、それを肯定してくれる傍証が欲しくてならない。 この小説の主人公は、いつも自分が「本当の自分」ではないと感じている。過去の人生の選択について自身が持てずにいる。過去を否定することや過去を肯定することでそれが解消するのかは分からない。主人公は過去のギタリストを消し去ることでこの葛藤から逃れようとしているが、実際に彼を救い出すのは妻の存在である。 この物語での妻の描写は表層的であり、また肝心の関係性も忘却の中にある。最後のシーンに唐突に姿を現す妻をどう理解すべきなのだろう。もしかしたら彼女と主人公は実は結婚しなかったのかもしれない。小学生は忠告どおりに素直にはなれなかった。もしも結婚していたらという「仮定の家庭」が安息の場であるとしたら、それは悲しくもそれでいて愛しく大切な心の場所なのだろうと思う。
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何という素晴らしいレビューなのでしょう。書いている”私”も主人公の行動や思考について仔細を理解出来てはいませんのて(情けない話ではありますが)、読み手にお任せしたいと思います。 ただ、1つ言えるのは、人は変わるということです。それも、望むと望まざるとに関わらずに。 読んで頂けて嬉しいです。ありがとうございました。

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