キタハラ

夢を見ている夢を見た。 日常をいとおしむためには、その平凡な日常を失う(あるいは手に入れることができない)こととならなくてはいけないのでしょうか。 なんてことなく、なんでもある世界。 龍もAIもいる。 昨日のわたしと今日のわたし、成長するわたし、老いていくわたし。時間が過ぎ去るのではなく、わたしたちは、時間を置いてけぼりにして、進んでいくのかもしれません。 少女の夢から覚めた先にも、愛おしい日常を見つけられたら、そう願わずにはいられない、掌編です。

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