拝啓 雨月様へ。 冥界では幸福になっておられるならば、この弔辞には何の意味も無いのかもしれません。 しかし、私は敢えてこの葬式の場で伝えたい。雨月様には自殺しないで欲しかった。 確かに貴方は谷崎潤一郎に触れることで満足したのかもしれません。 しかし小説とは名作傑作だけを読んで真髄を得られるものではありません。 文芸社で自費出版されるような糞みたいな駄作を読むと、 物凄くつまらなくて出来が悪いと思いますが、文章を読めば映像自体は浮かびます。 読者の想像力は駄作からも発揮されて映像が浮かぶのだとお伝え出来れば、 雨月様が自殺なさることはなかったのでは?と私は思っているのです。 外傷が多いことから他殺の可能性も捜査関係者やマスコミから指摘されていますので、 本当の所は分かりませんが、もし本当に雨月様が自殺されてしまわれたならば、 それは他殺よりも不幸な出来事のように思えて、今回弔辞を書かせて頂きました。 普段読んでいる名作・傑作からでは気付けない、駄作からも得る物はあります。 小説はこうあるべきだ、こうではダメだと云うことを気付かされるのです。 いつもクオリティの高い小説ばかりを読んでいたら、それが当たり前になって、 どんな名作や傑作を読んでも感動出来なくなることが私にはあります。 そんな時、目も覆いたくなるような駄作に触れて「小説とは何か」を考えさせられます。 駄作にも見るべき所があるのは、小説や文藝にはそれ自体に意味があるのではなく、 それに触れることで、読むことで、読者が得る「反応」に意味があるからだと思います。 これをお伝えすれば、この度の悲劇が起こらなかったでのはと思うと残念でなりません。 雨月様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 そして天国や冥界に着きましたならば、どうか雨月様には小説を書き続けて欲しい。 私達が同じ場所に逝って再会した時、読み切れないくらいの夥しい名作や傑作が、 天国の本棚に並んでいることを願っております。
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