人称って難しい。 「仮定法~」のときは、一人称で、人物が語りたいだけ、ああだこうだ語らせました。 今回三人称でなるべく客観的に、と思って作り始めたのに、なんか一人称と三人称が入り交じり、三人称でも四人の視点が存在する、読みにくい文章になってしまいました。もっと絞るべきだった。 理想は神の視点なんですが、私の中にはそんな視点は無いのかも。 絵本はいいですね、ああ思ったこう考えた、こうだからああした、とかごちゃごちゃ言わなくても、シンプルな状況の描写だけで、グッとくるものがあります。 「インタ~」は感傷的なメロドラマになりつつありますが(メロドラマは大好きです)、ちょっと初心に帰るつもりで、好きな絵本を引っ張り出してきて、読んでいます。 「ともだちの しるしだよ」 作:カレン・リン・ウィリアムズ カードラ・モハメッド
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こんばんは、ジュリエットさま。 いつもジュリエットさまの作品を楽しみにさせて頂いております。 人称についてお書きになっていらっしゃいましたが、大変共感いたしました。 人称と誰が視点の主体かというのは、本当に物語を書く上で、苦労し、悩むところです。 神の視点となると、個々の外側からみた様子しか書けず、それぞれの心の内面を文字として起こせないので、心情を描くのがとても難しいように思えます。 一人称だと、主人公の内面を理解してもらいやすい反面、固定カメラでとらえた画像のように、主人公視点でしか物語が描けないので、自由度が低くなるようにも感じます。 三人称でも、単一視点と、多視点があり、私は物語を
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ルチルさん、こんばんは! わたしの独り言に、こんなに真摯に答えていただき、胸がいっぱいです。 自分の作品をこんな暖かい目で読んでくださっている人がいることに、感謝を通り越して、驚きしかありません。 そっか、「インタビュアー」は、いろんな人の考えが交錯していたのか、と、初めて知った次第です。 わたしの場合、視点のある人物のいないところで起こった出来事を説明するのが、単に面倒だから別の視点を増やした、というのが本当のところかもしれません。つまりは文章力や語彙力の低さが原因だと思います。特に語彙力の低さは致命的で、たくさん書けば書くほど、言い回しがダブってしまい、いつも恥ずかしいと感じながら

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