とち

お久しぶりです。 ナイスさんの昨日の日記を読んで思ったことがあります。私の場合、相手のことをちゃんと考えれるようになったのは、40歳を過ぎてからです。 それまでは「相手はこう考えているハズだ」と一方的に想像して、それを相手に押し付けていました。 しかも自分は100%善意でやってますから、相手が迷惑がるとか怒るとか想像もしない。正義の味方気取りです。 そして私の言動が相手の意に添わず、相手を怒らせてしまった場合は「相手に誤解された。私の真意はこうなんだ」と自己弁解する、自己中人間でした。自分が相手のことを考えれていないことに気付きませんでした。 だから「共感」って言葉をそれまで使ったことがなかったです。今はとても大事にしています。気持ちの共有だとか、共感するってこと。 そして、人のこと相手のことを、相手主体で考えれるようになってから私の中で1番変わったのは、「自分と向き合う」ってことをするようになったことです。正確には「自分と向き合おうと努力するようになった」です。 これ簡単にできそうで、なかなかうまくできません。本当の自分すらわからない。まして人のことなんてわかるはずがない。 ですので、今は人に話しかけるとき、「ひょっとしたらこうなんじゃないでしょうか?」的な問いかけを会話の中でしながら、共感ポイントを見つけ出そうとするようになりました。 長々と書いてごめんなさいm(__)m 終わりに、訳あってナイスさんの日記読ませてもらうのを自粛してました。でもずっと気になってました。読みたくてウズウズしてました。どうか読者復帰させて下さい。よろしくお願い致します。
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お久しぶりです♪ 長文有難うございます♪ そうですね、人の気持ちを汲み取るのはとても難しいと思います。 例えば、相手が誤解されるような言葉で話している方がいたら、昔は「きっと貴方はこうゆう意味を伝えたいんだよね?不器用なだけだものね」 と言ってきました。 そうやって、こちらが、先に汲み取ると 「あ!この人は分かってくれるから大丈夫」だと、 自分の言い方や話し方を治す努力しなくなってしまいます。 そうすると、いつも負担が私の方にかかり、 ストレスが溜まるので辞めました。 分かってくれるから大丈夫ではなくて、 自分から分かって貰える用に努力する、のが大切で、 それは、とちさんの言う通り、 自分と
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