あまおうは何故いつまでも自称作家のままなのか
あまおうさんはtwitterが本当に面白い人だし、 数多くのフォロワーを抱えている方なんで、どのような小説を書くのか読んでみました。 確かに、現実のあまおうさんは老眼はまだだし、髪の毛もハ ゲていない。 しかし、私小説のようなセルフパロディーに見えてしまう。 蒼苺ちゃんのように仏教徒じゃなくても仏教の本は読むし、 私もユダヤ教徒やキリスト教徒ではないが、旧約も新約も読んだことはある。 書店にコーランが置かれていたので、今度はこれを読もうと気になっている。 あまおうさんはどうしていつまでも自称作家のままのなのだろう? それを垣間見ることが出来る作品だった。 あまおうさんは自分を表現している。しかし、そこには誰からの需要も無い。 私はあまおうさんが好きだから面白い。 ところが、あまおうさんに全く何の興味も無い人はどうだろうか。 宮部みゆきも東野圭吾も彼ら個人に興味を持つ人は少なく、 彼らがどのような小説を書くのかに興味を持ち、人々は本を買う。 彼らのアイデンティティはあくまでも小説作品そのものであり、彼ら彼女ら個人の体験や人格ではない。 勿論、どのプロ作家の小説も作者自身が表現されている側面は否めない。 だがそれは意図的ではなく、副次的ににじみ出て来たものに過ぎない。 もし、あまおうさんが自称ではなく、公称として「作家」と呼ばれる日が来るとすれば、 あまおうさん自身の魅力ではなく、作品自体に商品価値が認められた時だろう。 田山花袋の「蒲団」のせいで、自分を表現すること、自分の体験を書くことが、 小説を書くとと半ば誤解されてしまってから、およそ100年経つ。 自分が体験していないことを書いて欲しい。そして私自身もそれを自分に科している。 真の意味でフィクションを書けた時こそ、あまおうさんは作家になるはずだ。
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素敵で、真摯な分析本当にありがとうございます。 私小説は実体験をもとに書かれた「嘘」です。一体なにが、嘘だったのだろうか。 確かにそれは実体験を加工してある。それもそうとう悪質な加工を行っている。 そこに意図があるんだけど、たしかにそれは黒羽さんをはじめとしてすべての読者に関係も興味もない「メッセージ」なんだ。 これは落ち武者に向けた手紙だ。 私はそういうものも小説にしてしまう。ネタがないからではなくて、あいつの耳に向かって大声で吹き込まないと気がすまない、そういう悪意があったんだよ。 普段ネタバレとか解説はしないんだけど、黒羽さんには言っても分かりそうだから、ここにも書いておきますね。 私は
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