さかしま

覚書 フランスの映画監督のジャン=リュック・ゴダールは、代表作『気狂いピエロ』を作っていた時、パニックに陥っていたという。 それは、何を撮ればいいかわからないから、ではなかった。 むしろ、なんでも撮れる、という、かなり恵まれた状態にいたからこそ、かえって何を撮ればいいかわからなくなっていたのだ。 そこでゴダールは、「何も撮らない」ようにした。 そして、そのまっさらな状態で、それでも撮る必要が、どうしてもありそうなものだけを撮った。 思えば、「一回あえて何もしないことにする」は、どのジャンルでもスランプ撃退法の秘訣ではないだろうか。 イギリスの小説家ジェイムズ・ジョイスは、その弟子であるサミュエル・ベケットにこう言ったそうだ。 「ぼくは言葉でなんでもできるよ」 それはすごい! が、ジョイス以降に書く身になってみれば、この「なんでもできる」というのがかえって重荷になる。 批評家の加藤典洋は書く前に、一回わざと「鬱」になって、一日中ずっと寝る。 それから、さっきのゴダールのように、一旦リセットされた状態で書いた。 このことは、この人の「元気のないことの元気のなさ」というエッセイで読める。 フランツ・カフカもまた、いったん仕事からかえったあとで、しばらく横たわってから書き始めたらしい。 書くことが楽しかったあの日々を思い出せ。
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