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広茂実理
Maro(お休み中)
2020/4/20 18:10
《祟り神の終幕》 物語は山奥でひっそりと暮らすさくと宗次で始まった。穏やかに時は過ぎ、二十年もの歳月が流れた。 その二十年の時の流れは二人にとって幸せな日々であったのがうかがえる。しかしさくは人間ではない。生身の宗次は歳相応に老いてゆくがさくは昔のままの姿であった。 さて、物語は老いゆく宗次と老えないさくの苦悩、それでも変わることのない愛情でめでたしめでたしと終了するのかと想像したが、作者は二人にとびきりの苦難を用意していた。 絵師である宗次に女から仕事の依頼があり、邪推した女の亭主に殺されてしまうという設定である。次から次へとおとずれる辛苦に作者が荒神様のように思えてきたのは私だけだろうか。 祟り神の終幕での最たる見せ場は、帰りが遅い宗次を案ずるさくの描写であると思う。ひしひしと忍び寄る不安が、徐々に膨れあがり、居ても立っても居られないなくなるさくがいつの間にか私に乗り移ったように感じた。この手腕は脱帽ものである。 倒れている宗次を抱き起こし、いまわの際の会話は涙なしでは読むことが出来ない。ぜひ沢山の人に読んでもらいたい作品である。 《最後に》 このシリーズを読み終えてテーマは何かと考えた。それは「やさしさ」ではないかと勝手に解釈した。生贄になったさくを殺さなかったのは竜神様の「やさしさ」。荒神様となったさくが村や村人に復讐しなかったもの「やさしさ」。さくは荒神様となっても人としてのやさしさを忘れていなかった。そのやさしさが旅へ出る後押しとなり、宗次との出会いへと繋がる。その最たるやさしさは、「彼の命が終わる時、私も一緒に消えることができたらいいのに、と……」と願った言葉。 口幅ったいことを言わせて頂けるなら、小説の行間には書き手の性格が現れると私は思っている。このシリーズは作者のやさしさの詰まった小説であると断言する。 シリーズ最後の「何も知らず、全く別の時代に生まれた私は……少し情けない男に出合うということを──」の文章こそが広茂実理のとびきりのやさしさである。 素晴らしい小説を読ませて頂き有難うございました。 世間はコロナウイルスによる閉塞感で一杯です。近くのスーパーでも店員から陽性反応が出たという話がありました。対岸の火事ではなくひしひしと近寄ってきいて不気味です。広茂さんも十分気をつけてください。
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広茂実理
2020/4/20 19:36
Maroさま このたびは、祟り神シリーズをお読みいただいただけでなく、もったいないほどの長文をいただき、本当にありがとうございます! たくさんお褒めの言葉をいただき、大袈裟でなく、私は幸福感に満ちております。 思わず褒めていただいた箇所を、読みに行ってしまいました(笑) 世間では見えない不安が満ちていますね。私も自身ではなく「周りの人のため」になる行動を選択していきたいと思います。お心遣い、ありがとうございます。Maroさんも気をつけてくださいね。 いつもスター等いただき、ありがとうございます。お名前を拝見するたび、嬉しくなります。 これからも応援しております! それでは、拙いお返事で
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