武田ゆい

物語が生まれる瞬間
 識字率が高くなかった近世以前において、「物語」はエフェメラが語り人々が受け取るように、あるいはオオババが語りトウが受け取るように、直接人から人へと渡っていく「物」だったのだろうと思います。年長者から年少者へと渡った物語は、年少者が成長した後、また同じように受け継がれることになるでしょう。言葉が生まれて以降、人類は今に至るまで「物語」の継承を連綿と続けてきたのだと言えます。その歴史の中で、数多の物語が生まれ、形を変え、消えていったでしょう。そして、消えてしまった物語の中にも、心を揺さぶり、涙や笑いを誘うものがあったに違いありません。  さて、この小説の読者は、物語が生まれる瞬間に立ち会います。その物語とは、トウがコチョウのために創り出した物語です。口下手なトウが愛するコチョウのために創造した物語。彼はその物語をエフェメラに語り掛けながら脚色を重ね、エフェメラの口から語らせます。もちろん、気持ちを伝えたいならば自分で話すのが最も効率的でしょう。しかし、トウはそれができなかった。だからエフェメラに語ることを託した。ここに、この小説の非凡さ、美しさが集約されているように思います。  エフェメラがいなければ、果たしてトウは物語を創ろうという考えに至ったでしょうか。エフェメラという物語を語ることができる存在がいたからこそ、トウは物語を創ろうと思い立ったのです。エフェメラはすなわちペンであり紙です。つまり、私たちは、不器用な人物が愛する人に想いを伝えることに踏み切った瞬間に立ち会うと同時に、「作家」の誕生の瞬間に立ち会っているのです。それは果てしなく感動的です。  しかし、彼の処女作はコチョウには一笑に付され、更にはトウを窮地に陥れることにすらなります。彼の名誉は保たれますが、もう物語を創ることを一切しなくなっても不思議ではなりません。けれども、トウはこう言うのです。「僕は、物語を創ります」。  関東大震災で自宅や寄席を失なった東京の落語家の中に、上方――関西への移住を決断した者たちがいました。彼らは災害で何もかも失いながら、移住先で落語を語り、後には上方の落語を東京に持ち帰り、脚色して披露したのです。きっとトウも、旅先で自分の創った物語を語り、また、いずれ旅先で得た物語を土産に戻って来るでしょう。この小説は、物語を創ること、そして伝えることの豊かさに溢れた稀有な「物語」です。
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