鬼滅の刃の話でごめんね。 獪岳はさ、生きるために必死だったんだよね。 もし、自分が獪岳と同じ立場に立たされてみなよ。 例えば、お寺の事件。 前提として、自分は当時の獪岳と同じ歳ね。 何らかの理由で子供たちから追い出されて、夜、外を歩いていると、人喰い鬼に出くわしました。 鬼は提案しました。 さて、ここで問題です。 自分がこのまま鬼に喰われて殺される。 喧嘩して憎んでる人たちを生贄にして、自分は助かるか。 反抗しようにもなにも出来ない、圧倒的な絶望と緊張感の中で、まだ大人に守られるべき子供が正常な判断をすることが出来ますか。 いいえ、出来ませんよね。 ちなみに私なら生贄を差し出して、生き延びます。 何故なら、感情的なままだから。 人間はその時の感情によって過ちを犯すものです。 そんなことさえも分からないから君らは全員偽善者。上辺だけで評価する人間。見えない部分を見ようとしない人間。 さて、次です。 自分には弟がいました。 自分はどれだけ努力しても、どうしても出来ません。 しかし、弟は逃げて逃げて逃げて。 逃げてばかりなのに自分が出来ないことをすることが出来ました。 ここで問題です。 自分はどれだけ真面目にやっても出来ないものを、相手が真面目にせず出来てしまったら。 間違いなく八つ当たりしますよね。 口に出さなくても、『なんであいつが……。自分だって頑張ってるのに………』って、劣等感と絶望に包まれませんか。 そんなことも分からないなら頭はきっとお花畑ですね。一生そこにいて、仮初めの幸せにでも浸ってれば。 さて、最後です。 自分は目標の為に努力し続けました。 自分には才能がない。けれど努力すればいつか必ず報われると信じて。皆さんにもきっとそんな時期があったはずです。 そんなある日、目の前に死神があわられました。 死神はこう告げます。 『努力しても所詮秀才は天才にはかなわない』 絶望しますよね。 その時、こうとも告げられます。 『私の手を取れば、その天才をも超えられるかもしれない』 暗闇のなかでの一筋の光。 地獄のそこから地上へと繋がる蜘蛛の糸。 手を伸ばしたくもなるでしょう。 そんな、人間中の人間。 人間の醜い部分をキャラクターとして具現化している君の存在を知ったとき、初めて思った。 『ああ、獪岳は最高の人間だ!!』

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