加藤

デザートフラワーをもう一度見てみる。FGMに関する本を三冊ぐらい読んでから見てみると、ソマリア出身医師の言葉の残酷さがより浮き彫りになってくる。女性が抑圧された、支配下に置かれた社会でFGMが発達していたことの象徴だった。他にも、生理の場面が出てきたのはFGMによる身体的な弊害の場面。穴が小さすぎて経血が溜まり、苦痛を伴う。 FGMはイスラム教のコーランに、それを期待する事は書かれていない。行われるようになった説として「処女性の保護」「成人への通過儀礼」などがある。処女である事は女性の市場価値を上げる。純潔を保つと言う名目のもと、女性たちもそれを信じて生きている。男性は性的に優位な立場に立つことを望む。狭いコミュニティの中で、外部からの情報もなく、ただ大きな力の中で生きている。映画の中で、ワリスが同居人マリリンに「女は切っていなきゃ」というシーンはそれを象徴していた。
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