さかしま

デカルトの 「我思うゆえに我あり」 はニーチェの 「君の小さな理性は身体の道具にすぎない」 のようだ、とふと思った。 議論なんて、無限に続く。 しかし議論しているわたしの身体は有限で、腹が減る。 だから議論は捨てて食う。 ちょっと議論もする。 どちらも、そんなことを言ってる気がした。

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