三浦 小町

 匂いは記憶と密接に結びついているそうで、香りから情景を思い出すことをプルースト効果というそうだ。  夏が過ぎてしばらくがたち、足早に夜がやってくるようになると、住宅街を歩いているときにふと金木犀の香りとすれ違う瞬間がある。ふわっと髪をかすめる匂いに振り返ると、街灯に照らされた橙の星々が木々に宿っていた。そうして秋の到来をしみじみと噛みしめる。あのときもこんな香りとすれ違ったな、と懐かしさを覚えながら帰路につく。  秋も過ぎて木々が緑の服を脱ぎ捨てるころ、どこからか漂ってくる野焼きの香りになんともいえぬ情動がこみ上げてくる。冬が深まり鼻が痛くなるような寒さのなかで、夕日を浴びながら自転車を漕ぐ小学生の自分は、いつもその匂いを嗅ぎながら夜の献立に想いを馳せた。  わたしは夏の朝の匂いが好きだ。蒸れるコンクリートから立ちこめる不思議な香りは、友達との輝かしい冒険のはじまりを告げる匂いだった。その香りを嗅ぐたびにいまでも、あの日々を思い出し懐かしさに囚われてしまう。また、夏は雨の降る日も匂いの原風景が存在する。雨が降る前兆として蒸れた空気の匂いを吸い込むと、どうにもノスタルジックな気持ちに浸ることが多い。  季節の変わり目には印象的な香りが存在し、匂いによって過ぎ去りし日々に黄昏れる。  しかし、春はなんだ? とわたしは思った。ない。春といえば桜や菜の花が思い浮かぶが、別に道を歩いていて香ることはない。花弁に鼻を突っ込んでようやくほのかに香る程度でとくい思い入れもない。梅の花はどうだろうと思ったが、あれは冬の終焉を告げる香りの印象が強い。春の便りは鼻には届かないようだ。  3月も下旬に入り、春うららな日が増えてきたいま、春の匂いとはなんなんだと思ったわたしは、仕事に向かう途中でマスクを外して、思いっきり空気を肺に詰め込んだ。コロナのこの時世にだ。しかし、心を震わせるような香りには巡り会わなかった。そして、思い出した。  わたしは花粉症だ。わりと重度の。  仕事中、粘り気のないサラサラな鼻水を垂れ流しながら、わたしは春の到来を噛みしめていた。
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花粉症を、こんなにも詩的にドラマチックに表現する方を初めて見ましたw 素敵です✨
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ありがとうございますw 花粉症が酷いせいで匂いがわからない毎日ですw
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