西 東

私の見ている赤色は貴方の見ている赤色と同じですか?
読了致しましてタイトルの意味に成る程と感心し、気付きの問題である『私の見ている赤色と貴方の見ている赤色は同じなのか』と言う言葉を思い出しました。 見ている世界が違えば、受け取る感覚も育つ感性も違う。その中で重なる部分が大きい程分かり合い易いのかも知れないと考えますね。 他人とは違ってオバケを見続け振り回されてきた若菜さんは、格段に知られる世界、重なる世界の部分が少なかったのだろうとも。 多感な時期に考えるだろう自己の存在理由について悩み、他者との違いに悩みながらも互いの違いを含めて考え理解し、簡単な拒絶を超えて知り合っていこうとしている素直さは応援したくなります。 肩肘張らず、自然に過ごせる場所が増えて行けば良いですね。 あーちゃんの真っ直ぐさが返って若菜さんを振り回しつつも、嫌味が無いために心地好く、ロクデモナイ行動力に笑わされもしました。 嫌味が書かれていても、それ以前や以後の描写の丁寧さで嫌味と感じるよりもクスリと笑ってしまう愛敬に変わってしまうのはこの作者様ならではだなと感心します。 次から次へと目まぐるしく変わる展開の中でも、少しずつ変化を受け入れて振り回されるばかりにならない様に対処する頑張りがあったからでしょうか、明るさを感じる終わり方でした。
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西さん 素敵なレビューをいつもありがとうございます。 このお話について、以前にも一度、タイトルについて、“君”って誰なのか、つまり、ヒロインの傍からいなくなるのは誰なのか、気にしていただいておりました。 西さんの慧眼を嬉しく感じたことが、今でも印象に残っております。 私は、オバケは既にヒロインの身内だと考えています。オバケの問題はヒロイン自身の問題であり、彼女の自我を形成する要素です。 対して、友人や幼馴染は、ヒロインに寄り添う力強い味方であろうとも、ヒロインにとっては他者以外の何者でもなく、ヒロインを中心とした社会を形成する外側の要素でしかありません。 人間は、絶対的な存在たりえない、
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駒田さんへ 今晩は。 コメントを有り難うございます。 ユング心理学にあるアニマやアニムス、または想像力の高い子供が作りだすイマジナリー・フレンドみたいな部分も感じる物語でした。 自我の確立には他者との区別は確かに必要だと思います。 区別が付かないと、共感する事さえできなくて本能主体の考えになりそうですから。 完結おめでとうございます。
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