todaka

 世の中には、どうしようもないことがある。 「運命」とは陳腐な呼び方だけれど、長く生きていると、そうとしか思えない、人間の因果のようなものを感じることがある。  運命と呼ばれるものの本体は、実は、人間が持っている「夢」とか「希望」である。  誰だって、好きなものには近づこうとする。  嫌いなものからは遠ざかろうとする。  ある人が、何か希少価値のある特技をもっていたとする。  そして、その得技を活用できる仕事が好きで、そこに夢や希望を見いだせば、その人は幸福になれるだろう。  だが逆ならば――  つまり、自分の特技に自分で価値を発見できず、その特技を活用できない仕事を選んでしまえば、その人は不幸になるだろう。  そして、夢とか希望とかいうものは、しばしば、人間が自分の意思で選ぶことができない。  好きなものは「どうしようもなく好き」  嫌いなものは「どうしようもなく嫌い」  人間とはそうしたものではないだろうか。  もし人が、好きと嫌いを全部まるごと捨て去ることができたなら、人は運命から解放されるかもしれない。  しかしそれは、自分の存在を自分で否定するのと同じである。  だいたいの人はそれが不可能で、そして、運命の渦に巻き込まれていく。
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