如月

お久しぶりですm(*_ _)m令和なって、コロナ禍になり、皆さんも色々大変だったと思います。私は、父が胃がん手術して同じ場所に再発。強い抗がん剤を投与しましたが弱ってしまいました。治療を断念、病院の緩和ケア病棟に入るか?自宅にて訪問看護か? 死ぬ場所を、選択されたようなモノでした。 コロナ禍で、面会も週に1回、決まった人で10分のみ。父は、自宅の訪問看護にしました。本人が何時でも入れる様に緩和ケア病棟も押さえてありました。 父の最後を看取ったのは、私と精神科看護師になったネネでした。ネネが、「じじちゃん、瞳孔が。。脈が、息が落ちとるけど、オカンどないする?」言った。私の兄が、「オトンは、ゆっくり最期を。。」言った。 ネネが、「これは、連絡せないかん。」 看護師さんにTELをしに行った。 私が父の手を握った。ドラマとかで、色々話し掛けしたりしますよね。私、それ出来ませんでした。ネネが、「オカン、じじちゃん急に過呼吸みたいになったら、最期近いから」 そう、言われたが。。全く穏やかで、普通に息を吸ったり吐いたり繰り返しして、吐いてから次に吸う事が無かった。目の光が、ゆっくり消えた。私は、母より父と良く喋ってたり一緒に通勤していた。だから、ショックだった。しかし、父が運んでくれたのか? 亡くなって数週間後に、ネネが「私、プロポーズされた。」私は、「あんた、何嘘付くの?本当なら、ばあちゃんに電話しな」本当に電話していた。父の四十九日の翌日、『大安吉日の良い夫婦の日』凄い奇跡だった。 一周忌が終わり、新しい年が始まる前に 報告しました。少しずつ、ユキの事を書こうと思います。

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