昭島瑛子

人間の負の面がロボットの純粋さを際立たせる
羽鳥さんの「灰色の街」の連載が始まって私が驚いたのは「過激表現」の文字です。 羽鳥さんのイメージは「堅実な文体のヒューマンドラマ作家」だったのですが、その羽鳥さんが過激とは……! 読み始めてみれば冒頭から暴力が描かれ、ドキドキしながら読み進めました。 羽鳥さんは人間の負の面を描くために暴力や自分本位な性欲ともきちんと向き合っています。人間の身勝手さを正確に描くからこそ、人間の相棒となって人間を幸せにしたいと望むロボットの純粋さが際立ちます。 3つの物語から構成されている本作は舞台だけが同じでそれぞれ境遇の異なる人間とロボットの物語かと思っていましたが、最終話で登場するロボット・朝陽が実はかつて絵里であり樹であった事実が明らかになったとき、この物語ならではのロボットの意味に気づきました。 人工知能が人間のように振る舞えるようになるには膨大な時間が必要になるでしょう。パートナーとなる人間が望むロボットを作り出すために脳を含むすべてを1から作っていては人間としての基本動作から教え込まなければなりません。容れ物としての肉体だけ人間が望むように作り、脳だけは引き継いでいく。人間とは違ってデータを削除しない限りすべての記憶を持っているロボットは、過去に暮らした人間のデータをすべて持ったまま次の人間とパートナー関係を結ぶ。今までに読んだことのないロボットと人間の関係にさまざまなことを考えさせられました。 他のロボット小説と同様に本作のロボットたちも人間のために産み出された存在ですが、人間の相棒になりたくて思い悩み、もがくロボットを見ていると、倖田所長の台詞と同じように「治験者よりも機械達の方が幸せになってもらいたい」と思いました。
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最後まで読んでいただいた上に感想までありがとうございますー(/_<。) もはや羽鳥の中で昭島さんは女神様です(*›◡︎‹*) 本当にありがとうございます!!!
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