青端佐久彦

どうもです! これから長距離ドライブ(東京~島根)の予定なので今の内に投稿! 長距離の移動になりますので、もしかしたらこれが遺作になるかもです。 東京~島根間を移動する際は常に死ぬかもしれない、と思って動く。そんな佐久彦です。 さてさて。 今回は、龍騎団の作戦行動です。 この義勇軍。当初は鉄門峡が終わったらクランクアップの予定だったんですよー。 そこでクランクアップしてれば、厳がこんなに早く死ぬこともなかったのに………。 でも、黄巾の乱における劉備の動向について、こんなお話があるんです。 『187年に張純が反乱を起こした。  青州刺史は張純討伐を命じた。  その討伐軍が平原を通過したとき、劉子平(劉平?)は劉備が武勇に優れていると述べて従事に推薦した。  劉備は従軍し、田野で敵軍と戦い負傷し、死んだ真似をした。  友人に助けられ脱出した。  後に軍功で安熹県の尉になった』 こんな話があってですね。 ………………? おやぁ? ッスゥゥゥゥゥゥ………。 あれぇ? えーと、これは『張純の乱』の際の劉備の動向ですね。 ………黄巾の乱の動向じゃなかった。 佐久彦のミスだなこれは。 ………。 まあ、でも、結果として、物語の展開が劇的になったからいっか。 ま、まあ、あれだ。 張純の乱でいきなり推挙された劉備ですが、実はこの時の戦いを評価されていたんですよ。 あと、死体の振りをするのも前々回のようにやったことがあったからこそすぐに実行に移すことができたのでしょう。 そういうことにしよう。 そういうことに今なった。 さてさて。 今週のお話についての解説ですね。 劉備くんは北に陣取る厳政くんが邪魔になった様です。 厳政くんは、鄧茂からずっと、「北から動くな」と厳命されてました。 どうやらこの戦場。 北が重要なポイントみたいですね。 主戦場となっている南でも、後漢が押し気味になっている東でもなく。 北が最重要地点の様です。 少なくとも、鄧茂はそう感じているようですし、李需もそう感じているみたいですね。 さてさて。 皆さんは何だと思いますか? ヒントは地形。 予定では四日目に明かされることになるはずです。 お楽しみに! というわけで、また次回、お会いしましょう。 アデュー
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