シンプルな設定で読ませる
 決して若くはない二人の恋愛劇が、何気ない日常の中で、面白可笑しく、微笑ましく展開していきます。日常を淡々と描くストーリーは、劇的な事件が起こらない分、会話、情景描写、心理描写に至るまで、相当な筆力がないと、読者を引っ張る魅力を放ちません。  この作品にはその筆力がありました。一般的に、カップルの睦言的な会話の表現というものは、独りよがりで読者を置いてきぼりにしかねないリスクを孕んでいるものですが、この作品はそれどころか、台詞に潜む独特のリズムで読者の感情を揺さぶり、塞いだ気分を持ち上げてくれます。これって、音楽を聴いて気分が上がる感覚によく似ています。このリズム感は長年音楽に携わっている人が自然に会得するものかもしれませんが、音楽の素養があれば誰でもそのような文章が書けるわけではないと思うので、やはり天性の才能なのでしょう。  心理描写も巧みです。「今」を描きながら「過去」を覗かせる。たとえば、シリーズ1作目の『沼と助手席』で、主人公が誰もいない助手席の空間を見ている時の心象風景。そんな描写はどこにもないのに、彼女が苦い恋を経験したかもしれない過去を浮かび上がらせるテクニックがあります。  軽いテンポで進む二人の会話は、そんな酸いも甘いも噛分けて年齢を重ねた歴史が裏打ちされているからこそ、決して軽薄にならず、同じように歳を重ねたかもしれない読者の共感を呼ぶのではないでしょうか。  現在、シリーズ3作目の途中まで読みましたが、今後はどんな展開が待っているのでしょう。楽しみです。
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