チャイコフスキーの最後の交響曲『悲愴』は、最終楽章に異例の遅いテンポを与えたことで有名だが、それに先立つ4番や5番でも最終楽章には特に工夫を凝らしていたと思う。4番ではフィナーレらしい進行の裏で先行する3つの楽章を遡り、5番では普通は冒頭楽章が担う葛藤をフィナーレに担わせている。そのため5番のフィナーレは、普通の曲のフィナーレから見れば作りが変だと見なされたのか、原典主義が広まる以前はあちこちカットされて演奏されることも多かった。  また、4番のアイデアを20世紀の作曲家フェルドは自らのフルート協奏曲で、わずか数年前のことだった世界大戦の苛烈さを回想するために採用している。他人のアイデアの流用は褒められたものではないと見なされがちだが、その手法以外に自らが表現したい内容に最適なものがない場合、自作において最善を尽くすため決断しないといけない場合もあるのではないか。少なくとも僕はフェルドの曲でこのアイデアはチャイコフスキー以上に活かされていると思う。
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