物語の中では、私は何にでもなれる。 強い剣士になって敵を打ち倒すことも、 言いたいことを自由に言う無礼な男になることも、 筋骨隆々のマッチョ男でも、ヨウムでも、仕事のできる性格のきつい上司でも、 何にでもなれる。 現実の私が、夢を追いかけて努力し続けても何者にもなれなかった、もう若くもない、無力な女でも。 権謀術数を張り巡らせて成り上がる悪魔のような男になることも、 自由に、どこまでも自由に、世界中を旅することも、 まだ何も知らなかった少女の心に戻って、世界への期待で胸がいっぱいだった、幼な心に戻ることもできるし、 自分自身の、自分だけの家を持ち、そこで誰の顔色をうかがうこともなく、毅然と振る舞う女主人になることもできる ──物語のページをめくれば。 紙も、ペンも、原稿も、パソコンもなくても、 頭の中に意識をむけるだけで、現実よりも色鮮やかに浮かびあがってくる。 私は、木城ゆきとの漫画『銃夢』にででくる 「この世で本当に価値あるものは、自分で作りあげたものだけだ」という意のセリフと、シーンが好きです。 実際には、歳を重ねて様々な人の助けに生かされる経験をした今ならば、守るべき価値のあるものは、それだけではないとわかりますが、 それでも、最後の最後まで、自分から離れることがないもの。 たとえ誰とも気持ちが通じあわないまま、人の群れの中で孤独になって、夜の闇を前にどうしたらいいかわからなくなってしまっても、 マッチ売りの少女がマッチをするたびに見える幻影で心救われるように、 目を心の内側に向けるだけで、見えてくる世界。 そこに住む人々は力強く、世界は美しく、愛があり、正義が成され、努力は報われる。 まわりの人間がどんなことを言おうと、無視しようと、 自分で作りあげたものだけは、 つねに私のそばにあり、力になってくれる。 物語だけは。
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