屋久堂義尊

https://estar.jp/novels/8250820『常世は今日も雨が降る』更新しました。今回も思った事をただ書いてみました。人間の本質的な部分に触れられたと思います。尚作中の台詞はアムロの言葉です。  実は暫く執筆活動から遠ざかっていました。仕事がきつ過ぎて気力を奪われてしまいまして中々書く事が出来ませんでした。どうにも自分の扱われ方が不当な気がしてしんどいです。  で、その仕事の中で明らかに無心に近い状態を求められる作業が有ります。無心と言いますか、それをする際にその意味を問うては気が狂いそうになるのです。  それでも考えてしまいますがね。多分哲学科出身が故の癖でしょう。尤も私は誰か特に追っかけている哲学者が居た訳では無いですが。  最近はその中で、芸術の効率化について考えています。このインターネット時代に、芸術の垣根は下がり、若しも執筆も芸術だと世間が認めるのならば、このエブリスタなんか芸術表現の効率化の一つだと思います。ただ、芸術が或る程度の不便さを条件として加えるのならば、現代芸術の生き残る道は果たして有るのかどうか? を考えます。職人の後継者不足なんかそれの一つの弊害でしょうし。芸術はその表現した作品その物だけでは無く、それを生み出す際の過程、背景、そして汗と血も条件に入るのならば、効率化社会では芸術は滅びゆく物かもしれません。  本作『常世は今日も雨が降る』は、効率化社会に抗う者を描く事が一つのテーマでは有ります。それは芸術家になりたかったものの、それが認められなかった私の怨嗟の思いの現れでしょう。敢えて非効率的な生き方を選ぶ事も出来たのにそれを選べなかった己の悲しみと恨みの作品です。  では効率化された芸術とは存在しないのか? そんな事を職場で過ごす時間の半分くらい考えています。  思考のメイルシュトロームに巻き込まれています。結論はきっと出ないでしょうが、思索を続けるのでしょうね。  今度のエピソードはかなり短いです。サクッと読めると思います。是非一度手に取って頂けると嬉しいです。宜しくお願い申し上げます。
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