小池正浩

 新しい連載批評の予定を急遽変更し、二回つづけてファランクスさんの本格作品を論じました。すでに以前発表された当時すぐ拝見していましたから頭にだいたい内容はインプットされているはず、ということで、あとはあらためて再読してから紹介と評論をおこなうだけでしたが……うーん、やっぱり基本ネタバレのない批評ってのはむずかしい。ことにミステリー/推理小説の場合、肝心要の部分っていやあ、まあ、ほぼほぼ真相解明にかかわるじゃないですか、巷では暴露系ってのが何かと話題らしいですが、こちとらそのあたりをちょくせつは明かさないようにうまく解説しなけりゃならない。否、解説っていうより分析や議論をするのが目的ですからね、ただレヴューする寸評するで終わっちゃあ、まるで意味がない。ヤマなしオチなしイミなしってこれはちがうか、とにもかくにもそこからが本番、ほんとうの勝負どころ、真のスタートラインです。その先もっと一歩も二歩も踏みこんで、作品と対峙し格闘しなければ。真っ向勝負の真剣勝負、と見せかけ、ときには変化球も投げれば魔球もつかう、とはいっても野球はまったくしませんしほとんど興味ないですけど。ともあれ、作品のテーマと真正面から向き合うこともあれば、作品の表層をひたすら撫で回し味わうこともあり、作品の内部へ深く深く潜航することも、作品の存在意義を根本から解体し改変しようとすることさえある。とくにこれをデコンストラクション、脱構築といったりなんかします。  閑話休題。  今回の一連の作品批評をほんのポイントだけ。まずリアリティってやつは意外と虚実皮膜に宿るってこと。一見いくら荒唐無稽だろうとも、架空の物語にも何かしら一片の真実味はあるもんです。とはいえ、突きつめれば極論トリックとロジックは激しくぶつかる。じつは相性が悪い。それはそうでしょう、論理的に検証するなら、破天荒な物理トリックや大胆なアリバイ工作など、ふつう真っ先に実効性や必要性が疑われますから。だがしかし、そこを融合させよう、オペレーションを成功させようと困難に挑むのが、あくなき本格の書き手です。そしてファランクスさんがその逸材だということ。ロジカルな推理の技術や伏線回収の演出を真摯に向上させ革新させようとする姿勢がそれを証してます。高い論理性が要求される「倒叙」という本格探偵小説の形式を選択したことも。ロジックという方法論を復権するために。
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