Mako Ito

わずか7ページの文章中に、極めて繊細な感情の揺れ動きを表現した傑作
「わたし」は本当に幸せになったのだろうか。 本作を読み終えて最初に思ったことである。 本作におけるAI:My Roadは、管理社会の権化として、どことなく不気味な印象を与えている存在だが、実のところ何一つ間違った選択をしておらず、常に誠実であり、嘘は一つもついていない。 他方で、「わたし」はAIに不誠実である。 言葉の端々に、AIごときが人間を理解なんてできない、という意識が垣間見える。 「無情な言葉を吐く」 「まだまだ人間を理解しきれていないのか、たまにこうして"心無い"ことを言う」 AIに対しては心を開かないが、AIに情や心を求めている矛盾に「わたし」は気づいていない。 そして、「わたし」は明らかに嘘をついている。 「芸術はAIが苦手としている」という部分だ。 My Roadは、人生の幸福という厳密な正解など存在しない問題を解くことができる、まさに人智を超えた存在である。 人生は数えきれない選択肢の連続であり、正解は決して一つではない。 そんな難問を高確率で解くことが出来るAIが芸術だけを苦手とするはずがない。 文章中には事実であるように書かれているが、 先述した不誠実さと相まって、これは「わたし」の希望的観測であると読みとれる。 自分が一番大事にしているものは、こんなAIにわかるはずがない。 自分にはAIなどに予測されていない可能性がある。 そう思いたかったのではないか。 幸せの形は一つではない。 この結末を迎えた「わたし」は不幸せではないだろう。 しかし、本当に「10点満点の」幸せの中にいたのであれば、 最後に「捨てられた」「外れ値」「どうでもいい」といった言葉が出てくるだろうか。 どことなく、人生の諦めを想起させ、その是非を読者の中に問いているように感じる。
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Mako Itoさん、丁寧なコメント有難うございます! とても励みになります。 AIが誠実で「わたし」が不誠実、という視点に驚きました。 どことなくAIを機械として下に見ている気持ちがあるのかもしれません。 作中の世界ではAIが神格化されているので、多くの人間はAIに誠実なのだと思います。 社会に不誠実な人間は外れ値、やはりAIの作る世界では幸せになれないのでしょう……。 人の幸福、芸術に関しては AIが導き出すのはデータの平均値のため、 一定のクオリティであったり、所謂テンプレートしか出せない、という前提があります。 良く考えたら多様性社会とAIって逆を行っているのかもしれませんね…

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