秋月 晶

作品は、ひとりの人が命を削って書いたもの。 消耗品でもないし、替えがきく濫造品のパーツでもない。 作品の中には確かな命があり、複数の命が絡み合って物語になる。 人生はそれだけでかけがえのないもの。 良いものを良いとする、正当に筆の力で評価する、そんな日本はありえないのかな。 あなぐらむさんが荒れぐらむさんになってて、私も今、つらいさなかなので、一緒に飲み明かしたい気持ちになる。 文学は、読み手におもねるものじゃない。 確かな命がそこにあり、作品には想いを孕んだ付喪神が憑く。 つんく♂のプロデューサー視点というコラムで、『天才、プロ、アマチュアじゃんけんの法則』を読むと納得するところがあった。 文学は漫画とラノベに駆除されて、それらを追う形になっているから、読み手におもねらなければならない。 それを痛感しているだろうあなぐらむさんの内心を思えば、荒れぐらむさんになるのは当然だよね。 分かってくれる人が一人でも増えれば変わるのに、寂しさは拭えないね⋯😢
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秋月さん、コメントありがとうございました。 荒れぐらむとは言いえて妙ですね。ちょっと最近、生活が荒んでおりまして。 音楽も映画もそうですが、結局世代間ギャップはありますし、そのそも媒体(メディア)選定を間違っていればなんの訴求力もないんだろうと思います。 自分の書くものがよい、と思える強い自己肯定感がぼくにはありません。かつ、自己査定は厳しいので、こう、やさぐれる時が多い訳です。 なのでちょっと恨み節を書きました。一度、飲み明かしたいですね。
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